花に吉野、紅葉に龍田 |
時代劇を観るにあたって、江戸城が姫路の天守だとか、何のなにがしの守のお屋敷が大覚寺の門だとか、そういうの一切考えないのが、ほんとうは正しい市民的鑑賞態度なのだと考える。銭湯のタイル絵の富士山は素直に愛でればよいのである。 人「吉野山はいずれの国ぞ」と尋侍らば「只花にはよしの山、もみぢには立田を読ことと思付て読侍ばかりにて、伊勢の国やらん、日向の国やら知らず」とこたへ侍るべき也。いづれの国と云才覚は、覚えて用なきこと也。 中世の歌論書「正徹物語」の一節である。極端そのものの物言いの美しさ、自分がおぼろげに感じていたことは、大昔に碩学によってとうに言及されていた。すなわち伝統を尊重することであり、先人の言葉を宝石とすること。ここに歌枕は純粋な美学として昇華される。 さてどの口が言うかの、このサイトでやっているロケ地特定作業なのだが、目的は「見立て」の追求にある。 *参考文献 「吉野山はいづくぞ」丸谷才一(S40「展望」所収) 「歌論歌学集成」第11巻(H13三弥井書店刊) |