お百度と後生車


神護寺 時代劇を見ているとよく出てくる、お百度を踏むシーン。当事者はたいていご婦人で、主人の無事を祈ったり、子の病平癒を願って行われる。手には紙縒りや木片を持ち、裸足で雨に打たれながら或いは雪の石畳を踏んで、女たちは一心に祈る。
このとき、たまに左写真(神護寺・大師堂前/京都市右京区梅ヶ畑高尾町)にあるような小道具が演出されることがある。石や木を刳り貫き輪を嵌めて回るように細工したもので、後生車とも天気輪とも呼ばれる。
ドラマで使われるときは一度拝む毎に回しているから、手に持った紙縒りなどと同じく「カウント」ともとれる。実際社寺にある百度石のなかにはカウント用の仕掛けもある。
 しかしこの車、地方によっては吉凶を占うアイテムだったりもして興味深い。印象的なのは太宰治の初期小説「思ひ出」に出てくる後生車で、下女に連れられ地獄極楽の絵図を見に行った津軽の寺で幼き太宰が回した車は何度やっても逆回転し、彼を絶望の淵に叩き込む。輪が後戻りしたら地獄に落ちると、下女に言われていたのだ。太宰のその後を暗示するような陰惨なエピソードで、背筋が寒くなる感もある。
別の名称の「天気輪」には清明な印象がある。これはたぶん、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる天気輪の柱のイメージから来ているのだと、個人的には思う。よく考えるとあれはカムパネルラの死を暗示していて、不吉でもあるのだが。
呼び名はほかに地蔵車、念仏車、菩提車、血縁車などあり、伝法輪などという言い方もする。言い伝えも様々で、晴雨を占ったりもする。形態も石造りだったり木製だったりいろんなスタイルがあり、奉納される卒塔婆みんなが車を備えている例もある。これは東北地方に多い。
 ドラマで出てくるのはセット撮りがほとんどだが、長七郎江戸日記「おれん慕情」のように、今宮神社境内に作り物の百度石をあしらったロケもある。

嵯峨清凉寺一切経蔵 回すことにより生じる功徳には、起源がある。チベットのマニ車がそれで、経文を巻いた装置を真言を唱えて回す習慣がいまも続いている。一回転で千巻の経を読んだことになる、その信仰は日本にも伝わっていて、嵯峨清凉寺や長野善光寺に「装置」がある。右写真は嵯峨清凉寺・一切経蔵のマニ車。

 何気ない一シーンにもこのような謂われを秘めていたりする「時代劇」は、次代へ文化を継ぐ装置でもあると痛感。また、こんな小物にも心を砕いておられるスタッフには、ほんとうに頭が下がる思いがする。

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