百人一首にも選ばれている「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」は藤原道長の嵯峨逍遥の折に三十六歌仙の一人・前大納言公任が詠んだ歌で、名古曽の滝が名勝とされたこと、及び滝水がとうに枯れてしまったことが判る。
西行の著書にも滝組の石を移転した旨書かれてあることから、平安中期には既に名ばかりだったのだろう。
大覚寺造営の際に造られたダム湖・大沢の池ははじめこの滝水を堰き止めてできたものである。
いま見る大沢池北辺にある滝組には僅かに水が落ちているが、これは有栖川などからの取水と思われる。
滝の前にはぬたぬたした沢があり、これも往時の名残という。
鎌倉期、後宇多上皇が大覚寺を復興なされた際に滝や遣水も整備され、中御所の庭とされた。
これものちに荒れ埋もれていたが、現在は上の写真のように復され大沢池に水を流している。
日本最古の庭とされる大覚寺大沢池。池の北を歩く人は少なく上古と中世の歴史がひっそりと息づいている。
撮影 2001.12.16 京都市右京区嵯峨大沢町
☆参考 時代劇の風景・大覚寺