大覚寺は嵯峨天皇の離宮がこの地に営まれたことにはじまり、のち嵯峨帝の内親王が寺を開基したと伝わる。寺の東にある大沢池は「名古曽の滝」から落ちる水を堰き止めて作られたもので、この流れのあたりに日本最古の庭園がつくられた。今も遣水の名残が保存され池に続いている。 時代劇ファンなら、見慣れた光景が点在するこの寺を拝見するや、デジャヴュの雨嵐となること間違いない。あるときは大門が旗本屋敷に、またあるときは大沢池が大川に、境内を流れる有栖川がおいてけ堀に擬えられる。南町奉行所たる明智門から中村主水が出てくるし、御殿川を走って秀が出陣するし、放生池堤を越後の縮緬問屋のご隠居一行が闊歩し、五社明神に辰三郎が座って長七郎を待っていたり、からくり人一座が護摩堂に腰掛けて休んでいたり、天神島の祠では徳田新之助が町娘の悩みを聞いてやり、長谷川平蔵が大沢池に浮かべた船では大川の隠居が目撃されるといった按配で、境内のそこここに忘れ難いドラマの情景が潜んでいるのである。 ここは真言の寺、弘法大師空海その人と親しくまた深く帰依された嵯峨帝は、この地で写経に勤しまれた。このゆかり故に、今も般若心経写経の根本道場としてたくさんの人々が帝に倣い経文を書写する。これは毎日行われていて、初めての者でも気軽に受け入れて下さる。
☆大覚寺ロケ使用例一覧 京都府京都市右京区嵯峨大沢町 |