草津川見納め紀行

− 新草津川の工事 −

新草津川概念図
カラー部分が水みちとなる

 草津川は栗東市岡地区で北から来る金勝川(こんぜがわ)を入れて草津市街のほうへ流れていた。これをほぼ直角に曲げ矢橋帰帆島の北あたりに向けて放水路を作り出水時の洪水流を導くというのが新草津川である。
極端な天井川である草津川沿いでは堤の高さゆえ豪雨時の排水が川に流れず堤内地である市街地にたまり浸水等の被害が起きがちである。
また、破堤を見るとき被害は深刻なものとなる。
 新川開削の構想は1971年に出された。そして2002年、草津川は「廃川」となる。
もともと扇状地扇央部分では水が少なく、旱天には乾いた河床をさらしていることの多かった川であるが「廃川」という言葉のひびきにはやはり胸を衝くものがある。

鉄板で遮られた草津川 名神高速下付近の草津川
水溜りの魚 新川工事現場

 2002年6月14日をもって草津川廃川、というのは行政上のことで、実際は新草津川の工事が金勝川合流点で始まった時点で草津川への通水は止められていて、上の写真にあるように工事現場手前で川を全面的に堰き止めてある。
堰き止めて、と書いたが鉄板の際には全く水は見られない。そこから1kmほど上流に水溜りがぽつぽつとある程度で、取り残された小魚が密集していた。
水が無いのは支流の金勝川も同様で、合流点付近の河床はしらじらと乾ききっている。
こうした水無し川が暴れるときは甚大な被害を出すことが多い。草津宿の歴史を見てもそれは明らかであり、京阪神のベッドタウンとして開発著しいこの地域の都市としての機能を考えると新川開削に否定的なことも言えない。かと言って自然河川がヒトの都合でほいほい潰されたりしてはいけないことは議論を俟たない。ただ、地域住民を中心に据えた幅広い「話し合い」が持たれにくい現在の制度の不備は指摘しておきたい。また、こんなこともどこかに記しておかないと、あとでなにがどうなったかすこーっと判らなくなる昨今ではある。

草津川下流部航空写真 完成予想図
金勝川河口ステッププール 改修に用いる切石

 工事現場付近の橋のたもとには工事の概要を説明する掲示板が設置されていた。ここで掲げている図版や航空写真などはそれを撮影してきたもの。
金勝川合流には「ステッププール」と呼ばれる落差工が設けられるようだ。多自然型川作りの一環で、淵と瀬を作りだす水棲生物に配慮した工法である。神通川水系の蒲田川に学んだ手法、と記されていた。汀に植物が繁茂しないとただの三面張りのようにも見える。いずれにしても水が無いことにはどうしようもないだろう。

 新川の河床にはこれから使用すると思われる切石が積み上げられていた。なにもかも直線的にコンクリートで固めてしまうやり方は最近は採用されないようだが、多自然型と言い条あまり効果のあがっていない現場もよく見るし、これだけの大改変が落ち着いてしっとりとした水辺ができるまでにはずいぶんと時間もかかるように思われる。
新草津川の流路は北川・伯母川などにも影響し、各河川の上下を分断することになる。この後この改変が各個のミニマム環境に如何様な変化を齎すかは未知数である。


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