川を訪ねる旅
高瀬川源流庭苑 |
安土桃山期の豪商・角倉了以は朱印状による海外貿易のかたわら、国内諸河川の開発を手がけるデベロッパーとしての顔も持っていた。大堰川・富士川・賀茂川の疎通をはじめ、京・二条より伏見に至る水運を確立したことでも知られる。これが高瀬川舟運で、開削した新運河・高瀬川の鴨川からの取水口にあたる場所には彼の邸宅があった。
その邸宅の庭には高瀬川の最も上流にあたる部分が取り入れられており、風流で豪壮な庭は400年近くの間時の権力者や富裕な商人たちの別荘などとして伝わり、現在は大手外食チェーングループの所有するところとなり、一般の客も美肴と共に庭を愛でられることとなった。
その料亭の名を「がんこ高瀬川二条苑」といい、3〜4千円程度で気軽な京懐石を供している。
庭は明治初期に元勲・山県有朋の所有となった際「無鄰庵」の名を冠され、岡崎にある同名の別業と共に天才的庭師・小川治兵衛の手が入り、ビオトープとも呼べる自然度の高い池泉回遊式庭園となり、今に至る。
今回はその庭、店では「高瀬川源流庭苑」と称するそれを見学してきた。
野歩きをしてきた格好ではいささか気の引ける思いで店に上がる。靴を脱ぎ仲居さんに案内され緋毛氈が敷かれた廊下をゆく。ジーンズに泥のはねを発見し焦る。導かれた席は庭園に面した良い場所で、料理を注文したあと、まず室内から撮影。
食事中にも庭を見学の人がそぞろ歩く。撮影は食後ゆっくり外へ出てからとし、酒食に専念。見回すと客層としてはおばちゃんが多い(失礼)。
「高瀬川御膳」と名づけられた懐石膳をいただく。この店の自慢という豆腐をはじめ、ゆばの鍋、少量ずつ多彩に盛り込まれた料理とビールで腹いっぱいになる。
窓の外には満開の紅梅が散りかかり、その向こうを高瀬川源流が心地良さげにさらさら流れてゆく。これで2800円と3500円は安い。
デザートを食し食後の茶をいただいて払いを済ませ、植治の庭を拝見する。履き物も傘も用意してくれてある。*植治とは小川治兵衛のこと。植木屋治兵衛の略。
→NEXT
・高瀬川の源を探る・表紙 ・高瀬川源流庭苑詳細 ・庭を出てからの高瀬川