時代劇ロケ地探訪
東福寺  塔頭


 壮大な伽藍が建ち並ぶいわゆる「境内」の外には、数多の塔頭がひしめく。各寺院とそこに至る路地も、いろんなドラマの情景を彩ってきた。
駐車場脇から南にまっすぐ通じる臥雲橋の架かる通りと、その周辺の塔頭がよく使われる。東福寺は山裾にあり、この通りから東はぐっと傾斜がきつくなる。

臥雲橋から南望 東光寺前路地 北望

 臥雲橋を南に渡ると左手はちょっとした崖で、塀は高い位置にある。臥雲橋から路地を南望した情景は、大川橋蔵の銭形平次「親子雲」や「浮世数え唄」で、江戸市中のひとこまに使われた。
路地をまっすぐ行くと、東光寺を右手に見てどん突きになる。白塗り時代の勝新太郎が新選組を手玉にとる公家を演じた映画紅あざみでは、青蓮院宮邸から逃げた浪士たちを新選組が追ってくる路地がここ。突き当たりに出ると、東西の路地からカツシンの鷹野中納言が女連れで現れ、いきり立つ新選組を煙に巻く。

一華院前路地 北望 一華院

 月下門の筋向いにある一華院は、江戸中期に再興された塔頭。
いまなお高い評価を得る名作・新選組血風録の「菊一文字」では、沖田総司の病を察し気遣う隊士が薬を貰っての帰りに不逞浪士に斬殺される現場が、一華院門前。同じく栗塚旭主演の俺は用心棒「銃声」では、道楽で手に入れたピストルで祝言間近だった百姓の倅を試し撃ちの的にした旗本の手がかりを求め、野良犬のダンナがうろつく江戸の町のひとこまが一華院門前。天を斬る「魔性の鐘」では、頻発する銃撃事件の銃の出所である怪しの回船問屋とつるむ生臭坊主が住持する兵庫・西宮の寺。

同聚院脇路地 西望 同聚院脇路地 東望
一華院塀北東角 南望 一華院塀際・霊雲院道標

 同聚院は藤原期に造られた不動明王を本尊とする塔頭。すぐ南の路地は霊雲院への参道となる。霊雲院は重森三玲が復した九山八海の石庭で知られる。
新選組血風録「風去りぬ」では、敗残の男たちの涙ものの名シーンがこの付近を使って撮られた。京を退去し伏見で負けた新選組は、東帰ののちも甲府で負け、既に組織は無いも同然という状況。僅かに残った幹部で後図を模索するが、原田左之助や永倉新八の誘いに応じず袂を分かった近藤勇と土方歳三は、帰り道で思いもかけぬ懐かしい顔に出会う。戦の中に別れたきりだった斎藤一は、よく生きていたという近藤土方に「私はこれをお預かりしていますからそう簡単には死ねませんよ」と言い、懐から襤褸を出してくる。それは激戦をくぐり弾雨を浴び穴のあいた、誠一字を染め抜いた隊旗。二人の前でそれを広げて見せた斎藤は、もう一度この旗を揚げるまでは殺されても死なぬと言い放つ。この場面、会津へ行く話をしながら歩く近藤と土方は一華院門前を過ぎ、塀北東角に至り同聚院脇路地からやって来る斎藤を見る。旗を広げるシーンは上写真下段の、霊雲院道標前で撮られていて、画面にも石標が映り込んでいる。写真にある九山八海庭の屋根付き看板は、撮影当時には無かった。また、同聚院の南塀の仕様は今とかなり違う。
先に述べた血風録「菊一文字」では、同聚院脇路地が沖田総司が不逞浪士の襲撃を受ける場面に使われている。このとき沖田は刀屋から研ぎの間の代品として渡された菊一文字を帯びており、七百年を経た古刀を損じることを恐れ抜かずに対処するが、彼が斬らなかった浪士は、沖田を父親のように気遣ってくれた年嵩の部下を暗殺するのであった。

一華院塀北東角 北西望 一華院門前から北望

 一華院の塀は北東角がカーブを描く。また、門前から北を見ると大機院の参道坂があり、道が突き当たりに見える。これらの造形がドラマの背景にリズムを与える。
新選組血風録「菊一文字」では、殺到する刺客が一華院北東角からぬっと現れて緊迫感をもたらす。隊士が殺された一華院門前で監察の山崎に下手人の情報を聞いた沖田総司は、門前を過ぎ大機院の坂を上がって歩み去るが、これもよい効果。

大機院参道坂 大機院参道坂 見返り

 大機院は九条関白家とゆかり深い塔頭で、「後京極摂政前太政大臣」藤原良経の墓がある。大機院は路地東側にあるので、石畳の坂を登ってゆく。
大機院は銭形平次「親子雲」で貧ゆえに盗っ人の仲間に入ってしまった男の女房が、子を診てくれと頼み込む医者の家で出てくる。断られてとぼとぼ帰る女の悲痛な姿が参道の坂に見られる。痛快活劇「脅迫者」では、逃げ込んだ風の新十郎を匿ってくれる尼の住持する寺。この庵主は水野老中の遠い日の恋人だったりする。


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