時代劇の風景 ロケ地探訪 流れ橋


 橋脚も効果的に使われる。新必殺仕事人で、おりくが勇次に彼の父を殺した過去を告白する場面や、仕事人特別編恐怖の大仕事で、坂東京山にヘルプを依頼するシーンなどが印象に残っている。

 前項で述べたように、橋脚のそばに小屋が建てられることもある。普請場となることもある。変わったところでは、長尺時代劇五稜郭で、箱館戦争における土方歳三戦死の一本木関門に使われた例がある。この際には、橋桁を全く映さないようにして橋脚の背後に柵を設け関門としてある。この舞台をバックに、渡哲也演じる洋装の土方が馬上奮戦するさまが描かれる。野原に単なる柵をセットして撮ったのでは得られない効果を上げている。

 河原はラス立ちや会戦の場として使われる。この場合は橋が背景となることもある。
暴れん坊将軍などでは、木津河原での派手なラス立ちが定期的に出てくる。設定はさまざま、御狩場だったり、鉄砲州の原っぱだったりする。木津河原にはヨシが密生しヤナギが繁茂しており、効果を上げる。たいていの場合、殺陣は砂地から川の中へ移動し、水しぶきを上げての大立ち回りとなる。上写真にあるような流木が映り込んでいることもよくある。北大路版子連れ狼では、拝一刀と柳生者90人の大立ち回りが河原から橋下、堤を使って繰り広げられた。
合戦の例は豊臣秀吉天下を獲る!での墨俣城のくだりなどさまざまに使われる。当然のこと戦国モノが多いが、戊辰戦争のときもあり、次郎長モノの大出入りなども撮られる。
河原で変わったパフォーマンスが行われたこともある。必殺劇場版で、大仕事を前に助っ人を集めるくだり、石亀がモグラのように砂に潜り相手に近付く秘技を披露するシーンでは、上写真の河原から橋側面を見るアングルが用いられた。よほど印象が強かったのか、のちに必殺仕事人Vにおいて回想されている。

 橋を全く映さないケースも多い。流れ橋付近の木津川は深い部分もあるものの概して浅いので、渡し場を撮るにはうってつけ。六郷、大井川、戸田渡しなど各地の川として多用された。この場合、当然ながら橋は映ってはならない。
痛快!三匹の御隠居「娘を棄てた母 越すに越されぬ大井川」は渡し場が舞台となるお話で、ずっと木津河原でドラマが進行する。

 堤も使われる。他の川堤と比べると高いことと傾斜を利用して、ダイナミックな画が作られる。堤のみを使う時もあり、橋と組み合わせて使うこともある。
堤は主に街道筋として使われ、旅人がとぼとぼ歩いていたり、早馬が疾駆したり、時には大名行列も通る。最近は桂も木津も自転車道の整備が進み舗装されていることも多いが、ところどころに地道も残っている。堤に茶店を設け、見上げるアングルで撮ったものもある。
 映画尻啖え孫市では、堤から馬を駆けさせ橋を渡ってゆく騎馬武者の姿が見られる。近藤勇を三船敏郎が演じた新選組では、出稽古の帰り浪士隊参加への抱負を土方歳三に語る堤がここで、遠景に流れ橋を映して多摩川を演出する。堤のヨシが草深い多摩の風景をよく表している。

 流れ橋は今でも洪水時流されることがある。台風の当たり年・2004年夏にも上写真にあるような損傷を受けた。こうした姿の折も使用される。壊れているさまをちゃっかりドラマの設定に組み入れる例もある。

 1972年の長谷川伸シリーズ「沓掛時次郎」では、六ツ田の三蔵を渡世の義理で斬った時次郎が、彼の妻子を連れて逃げた先で人足仕事をする河原。橋脚の脇で石運びをする鶴田浩二演じる時次郎が、人足頭にどやされている。そんな彼を三蔵の遺児・太郎吉が眺めているが、堤に立つ坊の足もとにははずれた橋桁が横たわっている。
1974年の斬り抜ける「男は賭けた」ではラスト、さらわれていた菊と太一郎を救出した俊平が馬で逃げるシーンに木津河原が使われ、遠景に小さく流れ橋が映っているが、橋桁の無い姿である。
1982年の源九郎旅日記 葵の暴れん坊「さらば!湯の町残侠伝」でも橋桁の無い姿で映っており、水嵩が多い。ドラマは伊予松山の石手川の普請に関わるもので、その工事現場として損傷時の姿を利用してある。
1986年の白虎隊では会津における娘子軍と官軍の戦いのシーンで、橋杭のみ林立する風景を巧みに使ってあった。同年に撮られた長七郎江戸日記スペシャル「血闘 荒木又右衛門」ではラストの仇討ちの場面に使われ、橋桁を失い橋脚に無数の草を絡みつかせた流れ橋が映っている。右岸の端部分では橋桁が引っ掛かって斜めになっているのも映し出されている。渡辺数馬と又五郎の一騎打ちは木津川の川中で行われている。おそらく同年に撮られたと思われる暴れん坊将軍 II 「夜叉の涙はあかね色!」では、損壊した大川の相生橋を補修するくだりがあり、め組が手伝いに出ている。後年の名奉行遠山の金さん「サギ師金さんの弟現る!」では、この暴将の映像を流用してある。このお話は役人の不正で橋の材をケチったため大川の新大橋が落ちるというもので、民衆が橋から落ちるシーンを平常時の橋で撮り、暴将の映像をつなげて壊れた橋をみごとに演出してある。
1996年の八丁堀捕物ばなし第二シリーズ「父と子」では、甲州の樵・弥助が簀巻きにされて川に放り込まれ橋脚に引っ掛かっているのを同心たちが助け上げるというくだりで、江戸の大川に見立てられて映っている。船を出して助け上げるシーンだが、流れ橋には橋桁が無く橋脚に無数の草や枝が絡みついている。同年の山崎努版雲霧仁佐衛門「不知火の勇五郎」で人質交換が行われるシーンに使われたが、同様に橋桁が無い姿が映されている。


☆流れ橋ロケ使用例 ・1989年以前 ・1990年以降 ・木津川下流部(橋の映っていない例)
☆参考:木津川 下流部/流れ橋 (別ウィンドゥを開きます)
☆参考:川を訪ねる旅/流れ橋 (別ウィンドゥを開きます)


流れ橋 表紙


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