時代劇の風景 ロケ地探訪 宝塔寺

総門 深草の地を見下ろす丘の上に建つこの寺は、藤原基経の発願により899(昌泰2)年時平が完成させたと伝わる。はじめ真言で、のち法華に転じた。寺名のいわれは、日像上人が京七ッ口に建てた石塔婆のひとつを祀ることによる。
総門の四脚門は室町中期、多宝塔は13世紀のもので、ともに重文。裏手の長い石段を登ると七面宮があり、眼下の立命館高校からブラスバンドの音が聞こえてくる。
参道 仁王門
参道見返り 仁王門見返り

 総門をくぐると、緩やかな坂が仁王門へ続いている。坂には石畳が敷かれている。
参道には塔頭が建ち並び、その塀が坂の両脇に続く。塀際には立木と丸い刈り込みが交互に配されアクセントをつけている。
仁王門は朱もあでやかな楼門で、格天井には鮮やかな牡丹が描かれている。橘紋の大提灯が目を引く。

 参道の坂は、藤沢周平原作になる宿命剣 鬼走りで使われた。幼時よりのライバルとの確執を、老境に至るも引きずる二人の武士の諍いが周囲をも不幸に叩き込むお話で、次々と死んでゆく我が子らに慟哭する主人公・小関十太夫をヨロキンが演じている。宝塔寺の坂は、最後に残った十太夫の息子が、元勘定奉行のどら息子になじられたすえ嫂との仲を忖度されて暴発、斬ってしまう海坂藩城下町として使われた。もはや切腹しかない彼が立ち尽くすシーンは仁王門を背負っていて、大提灯がアクセントになっている。
 「鬼平」吉右衛門が天下御免の闇裁きで悪をぶった斬る痛快時代劇斬り捨て御免!では、第二シリーズ「血染めの千両富」で、富籤を催す回向院として使われた。時代劇で富籤が出ればたいてい不正が行われているのだが、このお話もそれ。一枚の籤を二人で買った大工と「とっつぁん」関大助が抽選を見るため、いそいそと坂をのぼってゆく。不正を探りにゆく楽翁のスパイ・妙秀尼の姿も見られる。

本堂 参道から本堂と塔
多宝塔 方丈への坂

 暴れん坊将軍 II 「新様まいる、おてふ恋日記」は、徳田新之助を慕っていた娘が不幸のどん底に叩き込まれる哀話。一方的な恋情を募らせる彼女は、思いの丈を日記に書き綴る日々を過ごす。そんななか、雨宿りのお堂で二人は偶然会うことになるが、そのお堂が宝塔寺の本堂。娘・おてふは俄か雨に降られお堂の軒下に走りこみ、そこにいた迷い犬を「同じ身の上」と抱き上げる。ここへ同じく雨に降られて徳田新之助こと将軍吉宗が駆け込んでくる。この偶然の邂逅におてふの心は千々に乱れ、言いたいことも言えずどぎまぎしているうち、雨はやみ新さんは走り去ってしまうのだった。ドラマは本堂の階で進み、お堂の軒越しに多宝塔も映りこんでいる。
江戸を斬る 梓右近隠密帳の「闇のなかの狼」は、右近に強烈なライバル意識を持つ剣友のお話。右近に勝つため編み出した剣技が、師匠によって邪剣とされ破門となった進藤伝八郎は、浪々の果て目を病みつつも右近を倒す機会を狙う。そんななか由井小雪の放つ刺客たちが右近を囲む場面で、宝塔寺多宝塔が使われた。先に襲われた折の傷で腕を吊ったままの右近は、塔下に立ち刺客を迎え撃つが、右近を自身の手で倒したい伝八郎は火縄の存在を示唆する。ここへ駆けつける岡っ引・仏の長兵衛は捕り方とともに本堂下の石段を駆け上がってくる。
 仁王門をくぐって正面の石段を登ると本堂、左手の斜めの坂を登ると鐘楼と方丈がある。この坂は先に述べた宿命剣 鬼走りで、「運命の坂」に至る前の墓地からの帰り道として使われている。

方丈高麗門 本堂前 蔵と高麗門
 暴れん坊将軍 III 「妻を斬った男」は、次期藩主をめぐるお家騒動が改易の口実になるのを防ぐため愛妻を斬って乱心を装い、辻斬りとなって奸賊を成敗する忠義者の哀話。このお話では下総高垣藩菩提寺として、宝塔寺が主舞台となる。
夫に斬られた「愛妻」の妹が墓参にやってくるくだりで、辻斬りを探して市中に出ていた徳田新之助と会うのは方丈。上写真の高麗門を開け放って撮られている。映っている門扉のデザインは今と少し異なる。また、仁王門の大提灯ははずされている。このあとも本堂や塔に墓地、坂など各所が目いっぱい使われる、代表的な使用例と言える回である。前藩主の法要にやって来た側室以下の悪党に、本堂に潜んでいた有為の士である「妻を斬った男」が討ち込み、ラス立ちへと移行するくだりではダイナミックなカメラワークで本堂前が映し出される。
妙顕寺歴代廟所 駐車場から望む伏見城
 多宝塔の近くには妙顕寺歴代廟所がある。妙顕寺が度々の法難を受けて寺地を遷った名残りだろうか。生垣の内にすらっと高い墓碑が並ぶ。
 徳川期の諸大名の奥向きにスポットを当てた徳川おんな絵巻の、美空ひばりが出演した「お転婆娘の御殿奉公」は出羽本荘藩が舞台。藩主・六郷政奉が菩提寺に参る場面に宝塔寺が使われた折り、藩侯歴代墓所として上写真の廟所が使われた。このとき、殿様役の里見浩太朗が墓碑に祈る向こう、碑の間に伏見城が見えていて絶妙の画になっている。このお話では本荘城として伏見城が使われているので、なかなかよくできたロケーション構成と言える。この作品が撮られたのは1970年なので様子も変わり、現在は樹木等が茂っていて廟所からお城は見えないが、楼門脇の駐車場からはいまも街越しに天守閣が望まれる。
*参考 ロケ地探訪「伏見城」
塔頭・大雲寺 総門から参道を望む
 大川橋蔵の銭形平次「鬼子母神参り」は、子を授かりたいため鬼子母神へ参る材木商の女房の行動がワルに利用されてしまう話。なにしろ人に知られるとたちまちご利益が無くなるとの言い伝えがあるので、亭主に行く先を告げずに出掛けていたその事が、男と逢引していたでっち上げ話に説得力を与えてしまうのである。この事態を解く鍵は、いつも平次親分のまわりで陽気な夫婦喧嘩を繰り広げるレギュラーのお民によってもたらされる。彼女もまた子を授かるべく亭主に内緒の参詣を続けていて、材木商の女房が男と密会していたという料亭を聞き込んできた帰りの親分が、夜道を行くお民を見るのが上写真右の参道。親分たちが身を隠すのは大雲寺の門の袖。このあと鬼子母神のお堂に額づくお民に声を掛け、親分が鬼子母神の謂れについてひとくさり語るシーンがある。これは本堂で撮られている。設定は四ッ谷坂下の鬼子母神。

仁王門格天井

京都市伏見区深草宝塔寺山町

 →宝塔寺ロケ使用例一覧

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