時代劇の風景  ロケ地探訪

粟生光明寺

− 諸堂 −

 方丈は正式には「釈迦堂」、前の石庭は「信楽庭(しんぎょうてい)」と言い、御堂と庭を挟んで向き合う位置に勅使門がある。
祀られているお釈迦様は頬焼けの如来という通称があり、淀の悪次郎の懺悔のエピソードを秘める。石庭は白州に配した石で大海を演出。
方丈は本堂と回廊でつながれており、崖下にあるので階段がある。階段の脇には自動のエスカレータが付属しているという現代的なもの。
方丈 方丈前石庭
方丈廊下 勅使門
方丈内部 方丈から庫裏の屋根
本堂と方丈を結ぶ回廊 方丈へ下りる階段
 炎の奉行大岡越前守では江戸城大奥として方丈が使われ、石庭上では将軍吉宗が子弟に武術の鍛錬をさせているという無茶な画が撮られている。
剣客商売「辻斬り」では江戸城の一室として使われ、田沼意次の用人が辻斬りを働いた目付の永井十太夫に自刃を促す場面で使われている。
御家人斬九郎「最後の死闘」では方丈へ下りる階段が下河原藩家老と長野主膳の密談の場として本堂裏手の御廟から回廊に連続して使われ、エスカレータがぎりぎり映りかけ、の微妙なアングルで撮られている。画面右端には石庭から上へ通じる石段が映りこんでいる。
壬生義士伝では新撰組屯所として設定され、方丈が幹部居室のシーンに多用されている。幹部に呼ばれた吉村貫一郎が階段下から歩いてくるが、法語のかかれた額や勅使門がちらっちらっと映りこむ。また、方丈から庫裏付近を見た甍の波がシーンの間に挟まれる。
阿弥陀堂 庫裏 鐘楼
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