時代劇の風景   ロケ地探訪

黒谷

− 金戒光明寺  境内 −

御影堂正面 御影堂 西から
 三門をくぐり石段を登りきると、丘の上に大伽藍が出現する。
本堂(御影堂)が正面に建ち、法然上人の坐像を祀っている。幾度も火災に遭い現在のものは昭和19年に復されたものである。
阿弥陀堂は慶長10年(1612)秀頼の寄進によるもので、寺内に現存する最古の建造物である。阿弥陀堂からは読経の声が漏れ聞こえ、境内に厳粛な空気が漂う。
禅道場の窓は、映画「御法度」の新選組屯所の道場のセット意匠に流用されている。美術監督・西岡善信氏が西本願寺における「会津」を強調するために作ったと著書「映画美術とは何か」に書いておられた。雲形の窓枠上部は、照明効果と相まって美しく銀幕に輝いていた。
阿弥陀堂 経蔵 庫裏
茶所 裏手墓地から御影堂 禅道場
 チャンバラ大作「大殺陣」では、山鹿素行の私塾として東坂と複合して庫裏まわりが使われている。
江戸を斬る 梓右近隠密帳「飛竜祈願」では、日光東照宮の彫師選定の場に本堂前が使われ、左甚五郎の雄渾な作品が披露される。
必殺仕事人「外し技釣り鐘からくり割り」では、事件現場となる千両富発行の巳寺として使われた。
鬼平犯科帳「麻布ねずみ坂」では、使いの浪人にたばかられ白子屋菊右衛門の情婦を手に入れること叶わなかった医師・宗仙が、遺体も入っていないその女の墓に参るシーンで本堂前が使われた。これを見る鬼平の密偵・相模の彦十とおまさは、茶所に座っている。
その他、暴れん坊将軍や長七郎江戸日記では、阿弥陀堂や経蔵が立ち回りの場などに使われ、花頭窓が美しいシルエットを見せ効果をあげている。経蔵の裏から、忍者が顔を出したりする例もある。
御家人斬九郎「母の夢」では、本堂裏手が使われた。斬九郎に仕官と縁談の話が来るも麻佐女さまの幼馴染に譲るかたちになる話で、話のあった鍋島藩留守居役が墓参の最中襲撃されるのを防ぐ大立ち回りが、御影堂をバックに墓地で行われる。
大河ドラマ新選組!では、小方丈の唐門がまんま会津本陣として使われている。
放生池と極楽橋 極楽橋 西から
 放生池は東坂下にあり、東は墓地となる。そのゆえか石の太鼓橋には「極楽橋」という名がついている。反りはけっこう大きい。
吉宗評判記 暴れん坊将軍「天女のようなガキ大将」で、荷車の後押しで日銭を稼ぐ子らが待機しているのは、この橋のたもとである。子らのバイトは東坂で行われる。同「油地獄のバカ踊り」では、放蕩者の若旦那を案ずる乳母の話を聞いてやる徳田新之助の姿がある。
長七郎江戸日記「古傷」では、鳴門藩の内紛について長さんが「蕎麦屋」の六さんと話していると、忍び道具のクナイが打ち込まれるシーンに使われた。
墓地 文殊塔と石段 墓地 見返り
螺髪の大きな仏さん 阿弥陀さん

 黒谷には伽藍の他に大規模な墓地がある。洛中を一望できる高台にびっしりと墓石が並ぶ。墓は縁者がおられるのか定かでない古いものから、新墓まで混在している。山崎闇斎・海北友松・八橋検校ら歴史上の著名人も眠っている。散策していると思わぬ人の墓を見つけることもしばしばである。
以前は中央のステンレスの手すりは無かったが、この坂を登ってお墓参りに来られる高齢者のためには欠かせないであろう。最近諸寺で目に付く付加施設のひとつである。時代劇撮影にはむろん邪魔になるが、竹で覆ったりと工夫している番組もある。

 必殺仕舞人最終回では、敵方の怪しい六部姿の男を尾行する直次郎が含み針で反撃されるシーンと、後日直次郎が投石でやり返すシーンに用いられた。直次郎役の本田博太郎が坂を駆け巡る動きのある場面で、石仏が映り込んでいる。直次郎は立ち回りの最中この仏さんをぺたぺたと撫で回していた。
翔べ!必殺うらごろし「女は子供を他人の腹に移して死んだ」では、身辺整理のため女を惨殺した新任の長崎奉行が、先祖の墓に参るところを仕置されるというシーンで用いられた。「先生」が超人的な速さで墓地の石段を駆け登る姿と、石段を登りきったピークから旗竿を手に大跳躍しワルを串刺しにする豪快な場面が見られる。また、奉行の供侍は若にボコボコにされたうえ丸められ、石段を落とされる。石段の途中にいた正十が、ひょぃっと転げ落ちる侍をかわすシーンなどもある。ここの傾斜はきついので、落とされるのはもちろん人形。
御家人斬九郎第1話「かたてわざ」では、ラストシーンに蔦吉と墓参の斬九郎の姿が見られる。


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