川を訪ねる旅
− 岩屋谷 −
志明院山門 | 参道 | お不動さんを祀る本堂 |
飛龍の滝 |
上賀茂神社付近から賀茂川沿いに府道61号京都京北線が走る。これを北にとり柊野堰堤を左に見て京産大グラウンドを過ぎるころ、勾配はきつくなり道も狭くなってくる。道沿いには産廃業者が軒を連ねているのが気になる。両に植林杉の木立を持つ道をゆくと山中に雲ケ畑の集落が出現する。里を過ぎなお川沿いをゆけば祖父谷と岩屋谷の道別れとなる。バスもここまでとなる。岩屋谷へは祖父谷川の橋を渡り左にコースをとる。岩屋川の小流沿いに離合困難な山道を少しゆくと車道は終わりとなり、岩屋山志明院の山門が見える。門前には宿泊施設を備えた坊があり、境内に入ると参拝客の案内をして下さる御婦人が出て来られる。ここで寸志をお渡しするが、前の訪問者の小銭が置きっ放しになっていてこの院の大らかさがうかがえる。
志明院は役行者の創といい、空海の中興も伝えられる、古代山岳信仰の香りを色濃く残す聖地にある。本堂には不動明王が祀られ、水との関わりの深さを思わせる。また、現在の御住職はかつてこの地に計画されたダム建設計画に鴨川を守る立場から強く反対され、活動の果てに府が計画を撤回した経緯がある。さきごろ鴨川にフランス風の新橋建設案が持ち上がった際にもいち早く行動を起こされたやに聞いている。自然保護活動のかたわら、宗教者として悩める女性の訴えを聞く講座をひらき法話を語られるなどアクティブな方で、院は観光寺院ではなく信仰がデフォルトな寺である。
門前で案内して頂いた境内を拝見に参道の石段を登る。本堂前には雪が消え残っていた。護摩を焚いた跡の残る広場には祠の下に一筋の滝が落ちている。樋を通じて落ちる水は奥の谷から引かれたもので、賀茂の最初の一滴と言ってよい。鉱の香りを舌の奥に感じる独特の味わいであった。祠は空海の前に顕現した飛龍を祀る。
護摩洞窟 | 洞窟前の谷川 |
本堂の奥では谷が二つに別れていて、左方には歌舞伎の舞台となった護摩洞窟がある。奈良・室生寺奥の龍穴とよく似ており、渓流に面した崖にぽっかりと口を開けている。洞の中にはみほとけが祀られ、新しい花が供えられていた。
ここは歌舞伎十八番にも数えられる「鳴神」の舞台に用いられた。帝の仕打ちに怒った鳴神上人が洞窟に籠り法力をもって竜神を封じ込め旱魃を起こし報復するというもので、帝より差し向けられた絶世の美女・雲の絶間姫の虜となり呪法を破られた上人の怒りが見せ所の舞台が今も演じられている。パチンコのキャラクターにまで用いられるほどのポピュラーな一作の鳴神上人の行場に擬えられた「人跡まれなる山深い滝壺のもと」は今も深山のなかに鎮まり古と現在をつなぐ。
洞窟内からの湧水は確認できなかったが、そこここの岩間から水が集まり谷となってゆくことを考えると、これも源流の一形態と言ってよいだろう。洞前を流れるささやかな谷水は軽やかな音を立てて流れ下ってゆく。
護摩洞窟の上の谷 | 護摩洞窟下の谷 |
護摩洞窟側の谷の奥は上写真左のようにごつごつした巨岩が連なる渓谷である。水はこの中から迸り出て来る。この先は薬師峠、周囲は巨樹林立する深い森である。この地に育まれる賀茂の一滴が大河となり浪花の海に至ることの妙を思う。
上写真右は護摩洞窟下を流れ落ちる谷水。奥に見える祠は先に見た飛龍の滝の落ちる八大龍王を祭る社である。
岩屋川最上流部 |
志明院のすぐ下では岩屋川が早くも渓流の態を成し流れ始めている。道脇のほんのささやかな谷だが、瀬を噛み淵を作りして立派なものである。
賀茂の最初の一滴・始原の流れは深い森と信仰に守られた清冽なものであった。