銭川

大和川3次支流 ・流入先 〜米川寺川大和川 ☆大和川水系一級河川 訓:ぜにかわ

阿部の川面 桜井市を流れる、米川の支流。
一級河川の起点は桜井市戒重川向。銭川放水路を分流、米川に注ぐ。
銭川放水路の起点は銭川からの分派点。寺川に注ぐ。

 桜井駅西方の市街地を曲折して流れ、戒重でクランクとなりその後西流、橿原市新賀町で米川右岸に注ぎこむ。
←左は桜井市阿部の市街地を流れる部分の川面。様々な藻が棚引く。

桜井市阿部  左上流、右下流望

 流れはじめの銭川は、宅地を縫う水路状で三面張り。川幅はごく狭い。
桜井市戒重からは幅を広げるが、川相は三面張りのまま。

桜井市大福 上流望 大福池

 桜井市大福では、溜池の脇を通る。この隣の戒重は、大津皇子が謀反の罪で処刑された地と言われる。
大津皇子の謀反というのは政争に破れたすえのことで、天武帝没後、女帝となった持統帝が我が子・草壁皇子を皇位に就けようと、息子の有力なライバル蹴落としを謀ってのこととされる。万葉集には、悲劇の皇子と姉斎宮の哀切な挽歌が収められている。
皇子の宮・訳語田宮(おさだのみや)も、処刑された磐余(いわれ)の池も、地名は残っておらずいずことも不明である。
しかし、灌漑池だったという磐余の池を偲ぶに、大福池などは好適と思われる。高堤に囲まれた大福池の周囲には草が繁り、冬には渡りの鴨が羽根を休めている。池辺からは、飛鳥古京や大和三山、そして皇子の墳墓となった二上山が望まれる。
下の万葉歌は、処刑に際し皇子が詠んだ歌。

  百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ  大津皇子 (万葉集巻3-416)

その池辺の情景が折口信夫の小説「死者の書」に活写されている。滋賀津彦の妄執が、耳面刀自の面影を映す藤原南家郎女に向けられる、はじめのエピソードである。

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