米川

大和川2次支流 ・流入先 〜寺川大和川 ☆大和川水系一級河川 訓:よねかわ
米川支流
銭川 ・山田川 ・戒外川 ・中の川(支流・百貫川

 大和盆地を流れる、寺川の最大支流。
桜井市高家の山中に発し北流、谷を出る桜井市橋本からは北西流し、橿原市醍醐町で北転、耳成山の東側を巻くように大きく西に曲がる。
橿原市新賀町から再び北に転じ、橿原市西新堂町と十市町の境で寺川に注ぐ。
一級河川の起点は桜井市高家のナカデ。

■ 源流

桜井市高家 最源流の谷 高家 朝霧橋下の渓流

 米川の源の谷は、桜井市高家(たいえ)に発する。
ここは山上の小高原で、東へ行けば倉橋の今井谷へ、西へ行けば八釣川(中の川)の谷筋を通って飛鳥の里へ出る位置にある。
源流は、山襞に小さいが深い谷を刻んで流下する。谷には様々な木々が繁り、水面を覗くのも難しいほど。

桜井市高家 分水嶺のピーク

 上写真左は、朝霧橋の上から西を見たもので、矢印はお地蔵さんを示す。
上写真右は、そのお地蔵さんの前から東を見たもので、矢印は朝霧橋を示す。
このごく緩いピークは、中の川との分水嶺となっている。
中の川は、お地蔵さんの南の丘に発して山を下り、やがて耳成山の麓で米川に合流する川。
やがて末に会う水は、このピークでしばしの別れとなる。

朝霧橋から桜井市街を遠望←左写真は朝霧橋の上に立ち桜井の市街を遠望したもの。
街の向こうには箸墓がこんもりと茂るのが見える。はるか彼方の山上に見える白い建物は、名阪国道そばのシャープ開発センター。

 高家は「高屋」として万葉集に見える。

 
ぬばたまの夜霧は立ちぬ 衣手の高屋の上にたなびくまでに
                舎人皇子 
(万葉集巻9-1706)

 ここを故地とするには異説もあるが、どうかすると立ち込める霧ですぐ先も見えなくなるこの高原では、歌の情景をたやすく偲ぶことができる。

■ 上流

桜井市生田 安倍小学校脇 生田の橋から川面

 高家の里を出て、安倍小学校の脇にさしかかる谷口付近でも、まだごく細い流れ。
刻む谷は深いが水量は少なく、河床はヨシ等の草に覆われる。

■ 中流

桜井市橋本 左上流、右下流望

 谷から出た川は、一時宅地の中を流れる水路状となる。
まだまだ浅く、河床には相変わらず草が生えるが、丈の高いヨシから水生植物に変わっている。

橿原市膳夫 膳夫橋から 左上流、右下流望

 橿原市に入り香久山の北を流れるあたりは、農地が多い。川相は草深いなかをゆく里川。よく砂を運ぶさまが見られる。
膳夫は「かしわで」と訓む。語の意は律令制の官職のひとつ、帝の膳部を司る役人を指す。
聖徳太子の妃・菩岐々美郎女(ほききのみのいらつめ)は豪族・膳臣(かしわでのおみ)の養女で、膳氏の寺跡がこの地に残されている。

■ 下流

橿原市山之坊町 川端から耳成山を望む 柏原市山之坊町 天神橋から下流望

 近鉄大阪線の手前で北に向きを振った川は、耳成山の東方を、山を巻くように大曲がりしてゆく。
川幅はずいぶん広くなっているが、水質はあまりよろしくなく濁りが入る。

耳成山 南から 手前は古池

 米川下流部の風景は、耳成山と一体である。河畔からは、ずっと瑞々しい山頂が望まれる。
耳成山は大和三山のひとつで、いちばん北にある。円錐形の秀麗な山容は火山性のものとも、モナドノックともいう。
古来より親しまれた山で、三山妻争いの中大兄皇子の歌など、万葉歌も多数残されている。

  無耳の池し恨めし 吾妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ (万葉集巻16-3788)

 歌に詠まれた池はいずこか定かでないが、いま耳成山の南麓には灌漑用の溜池があり、瑞山の影を映している。
池畔には桜並木が沿い、花期は山裾を華やかに縁取る。歌は複数の男に思われた娘が池に身を投じたという鬘児伝説によるもので、真間の手児奈や菟原処女の話と同様の説話。

八木中前の米川 左写真は、橿原市新賀町の下流部右岸から耳成山を見たもの。
北からの耳成山もまた、よい眺めである。
川相は、きっちりと護岸された捷水路。このあと国道24号と交差する付近で北転し、ほどなく寺川左岸に注いでゆく。

*フレーム解除


▲寺川   ▲大和川   ▲サイトトップ