左門殿川

神崎川分流 ・流路 神崎川〜//〜中島川〜大阪湾 ☆淀川水系一級河川 訓:さもんどがわ

 大阪府・兵庫県境・阪神間の臨海部を流れる、淀川河口域の運河。
大阪市西淀川区佃(つくだ)の中州北端で神崎川最下流部右岸よりわかれ南西流、佃の中州の南端で中島川右岸に注ぐ。
一級河川の起点は神崎川からの分派点、西淀川区御幣島(みてじま)・佃・尼崎市杭瀬寺島境。
海に近い感潮域なので、流れはほとんど無い。
河川名の「左門殿」は、尼崎城主・戸田左門氏鉄が元和3年(1617)に川を改修し、洪水禍から領民を救ったことに感謝して呼びならわされるようになったもの。

参考
・庄下川  ・尼崎の運河
西淀川区佃一丁目の左岸堤から左は上流、右は下流方向を見る
左写真左手の工場は塩野義製薬、右写真の橋は国道二号線左門橋
R2の橋は、高潮時ゲートを閉めて封鎖される。
西淀川区佃・尼崎市境
左、阪神高速神戸線橋梁
(下はR43) 右、R43辰巳橋から下流望
右写真奥は中島川

■ 佃

 左門殿川と神崎川に挟まれた中州・佃は江戸の佃島とかかわりがある。江戸初期、徳川家康が摂津佃村の漁師たちを移住させた経緯がそれで、隅田川河口部の埋立地にも佃の名がつくこととなった。摂津佃村は東照神君とのゆかりで運上を免ぜられており、漁場自由の許しも与えられたことから、漁業で栄えた。
その後左門殿川からの取水による農業も発達し、明治中期に至り工業地帯として発展するが、国道二号、阪神国道(現阪神高速/国道43号)が縦断するこの地では戦後排ガスによる公害が大きな問題となった。海抜0m地帯であり、大型台風による災禍を蒙った地域である。

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