紫野に広大な寺域を持つ古刹・大徳寺。一休さんや沢庵和尚のいた寺としても、信長の葬儀が行われたところとしても夙に有名。数多ある塔頭も、それぞれ名宝や茶室等の文化財を蔵し、史上名高い人々とのゆかりも深い。 ■ 三門 総門を入ってすぐ目に飛び込んでくる鮮やかな朱は、三門「金毛閣」。大徳寺には、この三門から北に仏殿・法堂・方丈がずらりと揃っている。
三門は、利休がらみのエピソードで出てくることが多い。映画をはじめ大河ドラマや戦国ものの時代劇に、イメージカットとして挿まれる。1978年の大河・黄金の日日では、「利休切腹」の回で映っていた。 ■ 大仙院 方丈の北にある大仙院は、永正年間開基になる由緒ある塔頭で、利休居士とのゆかりも深い。枯山水のお庭は、山峡から出た滴りが大海に至るさまを凝縮した室町期の名庭。
三門の項で述べた千利休 本覺坊遺文では、織田有楽斎と本覚坊の語らいが、大仙院の方丈で撮られた。石庭の清しい砂盛りが映り込んでいる。 ■ 総門まわり 総門は西の駐車場側にある。門前からはじまる石畳はまっすぐ三門前に続いていて、門をくぐると緩い坂になっている。下写真右は電線地下埋設工事の最中で、掘り返されていたときのもの。
栗塚旭主演の名作・新選組血風録中盤の見どころ「油小路の決闘」のクライマックスが、ここで撮られた。策士・伊東甲子太郎は、分派を果たしたあと近藤一派を甘く見て誘いに乗り、上機嫌で酒宴から帰る途次に暗殺されるのだが、その現場がここ・大徳寺総門内側の塀際。斬られた伊東は上写真右のマンホール上あたりに倒れていて、確認しにやって来る土方らの姿は写真にあるロードコーンがちょうど立ち位置。
伊東甲子太郎の死骸は、油小路の辻に晒される。御陵衛士たちを誘い出す、明らかな罠である。しかし高台寺党の面々は伊東の遺骸を晒しておくにしのびず油小路に駆けつけ、死闘が繰り広げられる。
乱戦のなか、古参隊士たちは試衛館生え抜きの親しい顔に当るや剣を交えるも引き、逃がそうとはからう。原田左之助が藤堂平助と剣をあわせて目を瞠るシーンは上写真の千体地蔵の生垣際、斎藤一が藤堂と鍔ぜりあいしてのちぱっと身をかわし走り去るのは上写真・龍源院北塀際。皆して藤堂だけは逃がそうとする、袖を絞らせる名場面である。 ■ 瑞峯院 ここは戦国期のキリシタン大名・大友宗麟が菩提寺として建てた塔頭で、奥まったところにあり境内に名庭を持つ。そのお庭の名を刻んだ碑が門脇にあり、よき点景となる。
「油小路」で試衛館一党の皆が逃がそうとした藤堂平助だが、その行く手には土方歳三が立ちはだかり、彼を斬り捨てる。このシーンには、瑞峯院前が使われた。藤堂を待ち構える土方の背後に、上写真右の「閑眠庭」と刻まれた碑が映り込んでいる。絶命し地に伏す藤堂を、暗然たる面持ちで見つめる新選組隊士らの姿は、上写真右の路地にある。
この塔頭は、同シリーズの「菊一文字」でも使われた。 ■ 大慈院 大慈院は瑞峯院の北隣にある塔頭で、ふだんは拝観できない。日曜には座禅会を催しておられる。塔頭内に鉄鉢料理が名物の泉仙があり、参道入口に看板が出ている。
新選組血風録「菊一文字」で、沖田総司は親身に意見してくれる、親ほど年の離れた平隊士に勧められて医者へ行く。入りかけると門から若い娘が出てきて、沖田の苦手が二つ重なるものだから、彼は子供のようにくるっと踵を返してしまう。この、蘭方医・半井玄節門前のシーンが、大慈院で撮られた。 ■ 徳善寺 徳善寺は、総門を入ってすぐ・南に伸びる路地の端にある。この路地、石畳と土塀に沿う松並木がなかなかによい雰囲気。
エピソードは「江戸の月」、徳善寺前の「夜道」をゆくのは近藤・土方。京を去ったあと鳥羽伏見で負け、甲府でも敗北した新選組は幕府にも冷淡に扱われ、近藤土方の名も忌まれるほどに追い込まれている。僅かに残った隊士も袂を分かち、決裂した交渉の場から中野村へ帰る月明の道、多摩時代の話をしながら歩む二人、中天にある江戸の満月を眺め立ち止まるのが上写真左の、徳善寺前の石畳。月明かりの趣向で当てられたライトが、敷石を美しく浮かび上がらせる。 ■ 龍源院 徳善寺のお向かいの龍源院は、永正年間の開基になる古い塔頭。写真の門は大徳寺内でも最古級。院内には方丈庭園の一枝坦ほか名庭がたくさんあり、禅味深い、ごく小さな坪庭も見事。
総門の項で述べた「油小路の決闘」では、伊東暗殺に先立って副長・土方歳三に刺客が向けられるくだりがある。その襲撃の道がこの龍源院前。 京都市北区紫野大徳寺町 →大徳寺ロケ使用例一覧 |