天神川

淀川2次支流 ・流入先 〜大戸川淀川 ☆淀川水系一級河川 訓:てんじんがわ

 滋賀県大津市南西部を流れる、大戸川に注ぐ川。
大津市田上里町・田上森町の山間部の水を集め北西流、枝地区・里地区を貫流、里一丁目で大戸川下流部左岸に注ぐ。

■ 上流部  湖南アルプス

上流部  大津市田上森町 鎧ダムのある支谷・若女谷

 天神川の源は湖南アルプスから来る。
主峰・太神山をはじめ八筈ケ岳・堂山・笹間ケ岳といったこの山なみからは、奈良時代、寺社造営などのため多数の木が伐り出された。
以降放置されたため一帯は禿山となり、ここからの夥しい流送土砂は琵琶湖の吐き口を埋める因となった。
近代に入って植林がなされ始め、現在も砂防と植林の根強い努力が続けられている。

■ 堰堤群

 天神川における近代砂防は明治初期にはじまった。
オランダ人御雇技師のヨハネス・デ・レーケが指導にあたり、若女谷の奥に切石を整然と積んだ堰堤が作られた。
今も残るこれは形状から鎧(よろい)ダムと称されるが、正式には堰堤である。
竣工当初は上に阿弥陀池を作って水を湛えたというが、現在は土砂で埋まり阿弥陀河原と呼ばれる。

鎧ダム(鎧堰堤) 鎧ダム上の阿弥陀河原
迎不動堰堤 迎不動堰堤の上

 鎧堰堤の下、若女谷を入ってすぐのところには最近作られた新しい迎不動堰堤がある。
デ・レーケのものにならったつくりで、規模は鎧より少し大きい。これも既に砂で埋まっている。

↑天神川堰堤上の河原、上流望
↓天神川堰堤際から下流望

 谷口近くには大規模な天神川堰堤があり、上は浅瀬の河原となっている。
奥に見える荒れた山腹を見ると、流送土砂の夥しさも頷ける。

大津市枝 谷口付近 大津市枝 登山口バス停から下流望

■ 谷口

 このあと川は枝地区の田上教育キャンプセンターの北あたりから伏流をはじめ、著しい天井川となる。地図にも破線で示されている。
枝地区には、田上鉱物博物館や田上公園があり、公園は天神川の河川敷を用いて作られ、「ふれあいのはし」という吊り橋が架けられている。

大津市枝 天神川橋から 左上流、右下流望
左写真の車の停まっている所が田上公園、奥に吊り橋

 公園そばの天神川橋を境に、伏流は顕著になる。
また、ここから堤もいっそう高くなる。
河床は草がちで、水はその下をちょろちょろと行く。

川面 右岸堤 橋から見た太神山

■ 下流、河口

大津市里 下天神橋から 左上流、右河口望
右写真奥が大戸川、橋は大戸川の橋

 最下流部では、表流水はほとんど見られない。
河床には重機の入ったキャタピラの跡がついていたりする。
水が無いので河口には丈高く草木が茂り、はっきりとした合流点は確認しにくい。

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