飛鳥川  下流  橿原市・田原本町・三宅町・川西町


源流/上流(諸谷合流)/上流(栢森)/上流(稲淵)/棚田/中流/下流/飛鳥川表紙


■ 橿原市

上飛騨町 新河原橋から下流望 橋下の川面

 橿原市へ入ってすぐでは、古い様式の橋なども見られ、まだ里川然と流れてゆく。
川原には旺盛に草が茂り、夏場には川面を覆い尽くす。周囲は宅地と田畑が混在。

今井町・南八木町境 蘇武橋から 左上流、右下流望
左写真鉄橋はJR桜井線

蘇武橋から西望 国道165号を過ぎたあたりから川相は都市河川に変わりゆく。
八木の町に入る頃には三面張りとなり川幅も広がるが、まだ浅瀬が見られる。
周囲は繁華な都市となり、建て込んでくる。
上写真の蘇武橋は近鉄八木西口駅の西方、このすぐ傍に寺内町が残されている。

今井町 今井町は、中世に一向宗門徒衆により作られた寺内町である。
その頃の常として自衛のための武力を有し濠を巡らせたのがはじまりで、信長との攻防をやり過ごし江戸期には天領となった。
それ以降、町は金融業を中心として栄え、「海の堺、陸の今井」と称される発展を遂げる。豪商が軒を連ね、大和の金を一手に集めた時代もあった。
堺と同様自治を認められ年寄による町政が敷かれ、惣年寄の今井家住宅は城かと思わせる豪壮さを今に伝える。その他、今も町内の民家の八割は江戸期のもので、国により重要伝統的建造物群保存地区に指定され官民一体の保存の取り組みが続けられている。

■ 田原本町

大網・平野境 平野橋から 左上流、右は川堤

 橿原の市街を抜けた川は北上を続け、田原本町に入る。
田原本では寺川と曽我川の間の田園地帯を流れる。
流路はほぼ直線に整備され、橿原バイパスをくぐるところにクランクがある。
上写真はバイパス付近、西流する部分。背景は青垣の山々。堤は写真の如く高くなり始めている。
川相は三面張りの用水路状、堰堤による湛水域が連続する。

■ 三宅町

小柳 藤の木橋から上流望 藤の木橋への道

 三宅町に入ると、大和川の合流を目指し向きを北西に振りはじめる。
西を流れる曽我川とは、歩いてすぐなくらいに距離が縮まっている。
川相は変わらず三面張り、岸辺にはところどころにぽつんと水が運んだヤナギなどが生えている。
天井川の堤はいよいよ高くなり、上右写真のように車道も直登を避けカーブしている。

■ 川西町

保田 保田橋から上流望(上左)
右写真のヤギは2013年5月に右岸河川敷にいたもの
除草目的と思われる・常駐か否かは不明
保田 新保田橋から 左上流、右下流望

 飛鳥川流末となる川西町は、川合の地。
盆地中央の低平な立地ゆえ水害常襲地であった。
飛鳥川と寺川に挟まれた自然堤防上には、聖徳太子が斑鳩から飛鳥へ通うためショートカットの道・筋違い道(すじかいみち)が作られた。
川幅はかなり広くなり、堰堤上の静水域は鏡の如く空を映しこむ。
堤法面は緑被された部分と、ブロック部分とが見られる。

河口 左大和川、右飛鳥川 河口の河床

二上山 飛鳥川は、川西町保田と安堵町窪田の境で大和川左岸に注ぎ込む。
合流に際しては剣先のデルタを介する。
飛鳥川側には、鱗状に砂泥が堆積している。
河口堤に立ち西を眺めると、飛鳥の地で見た二上山のふたこぶが一つに見えるようになっている。


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