大和川  中流  大和中原  桜井市〜天理市


源流/上流(渓流と里川)/上流((渓流からダムへ)/上流(門前町と初瀬峡谷)
/中流(大和中原)/中流(盆地底)/中流(県境の峡谷)
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■ 三輪山の裾をめぐる  桜井市

桜井市外山 桜井市三輪 鳥居は大神神社

 初瀬川は三輪山の南から奈良盆地に流れ出す。
盆地のそこかしこから望まれる秀麗な山容が古来尊ばれた三輪山は、山そのものがご神体である。
ゆえに、山裾にある大神神社には拝殿はあるものの神殿は無い。
初瀬川はこの三輪山の神奈備川で、三輪の神様の神聖な禊川であった。

素麺工場 三輪山を望むあたりの初瀬川畔では、素麺掛けが行われる(左写真撮影は2001年、屋外での作業が継続しているかは不明)
数多い素麺産地のなかでもとりわけ有名な三輪素麺は、この地で厳寒期に作られる。
山辺の道ではハイキングの観光客向けに素麺を食べさせる店が幾つかあり、美味しそうな出し汁の匂いを漂わせている。

桜井市三輪 三輪大橋付近 桜井市大泉 親水護岸

 平地へ入った川は幅を広げ川相も変化する。
最も変わるのは堰堤で、今までのように石積の堰から大半が流下するものではなく、かなりの水を止めてしまうものとなる。
堰の上はたっぷりと水を湛え、堰下ではごく浅い流れとなる。

■ 田園地帯の湛水区間  桜井市〜天理市

桜井市江包 田原本町東井根
バルーンダム 田原本町蔵堂

 周囲に建物が少なくなり、田んぼばかりとなる桜井市北西部から田原本町にかけては、また様相が変わる。
堰はほんの少しでも流下水があった可倒式のものから、丈夫なゴム製のバルーンダムになる。
じわじわと沁み出す程度はあるだろうが、ほぼ全量の水を堰きとめることとなる。以降は仕切られた静水域が延々と続く。
奈良盆地は水に乏しく、大規模な耕作が行われるようになってからは川水では足りず、多くの溜池が作られるようになった。
吉野川分水路開削により水不足は一応の解決を見たが、今でもこうして大和川から取水される水は重要なのである。

唐古遺跡 田原本町の河畔からは、唐古遺跡の楼閣が望まれる。
くるんと巻いた屋根飾りが特徴的なこの建物は、出土した土器に描かれた絵から再現された。
ここは千人以上の人が暮らしていたとされる弥生時代の村跡で、巨大な環濠集落だったという。
初瀬川流域にはほかに纏向遺跡などもあり、古墳時代には多数の大王墓が作られている。
左写真は大和川畔より遠望/下写真は唐古遺跡モニュメントと溜池

■ 初瀬川から大和川へ  天理市〜川西町

田原本町 布留川合流 左が布留川 天理市嘉幡町
川西町下永 川西町 堤の石仏

 そろそろ盆地底が近くなると、今まで入れた支流と異なり大きな川が流れ込んでくる。
まず天理の水を集めた布留川が流入する。注ぎ先の本流に堰があるので、布留川のほうも影響を受け末流が湛水区間となる。
上空から見ればあたかもダム湖のようだろう。堰はバルーンダムではなくなり可倒式のものになる。
この先も幾つもの堰があるが、流下水があるので堰下では自然な川相が戻り、野鳥の姿も見えるようになる。
 川西町に入ると、川幅はぐっと広がってくる。堤もより高く強固なものになる。

河川管理境界看板 右岸側に額田部の浄化センターが見え出すあたりに、国交省の看板がある。
河川管理境界を示すもので、ここで初瀬川から大和川へと名を変える。
この先は盆地底、大支流が続いて流入してくる区間である。


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