時代劇の風景 ロケ地探訪
大原野神社・善峯寺・勝竜寺城公園
洛中からは陽の沈む山である、なだらかで優しげな印象の西山連峰。 竹林の多いその山裾には趣き深い社寺が点在し、四季折々に人を惹きつける。ベッドタウンとして開発めざましい桂川右岸地域だが、旧道に紛れ込めば江戸時代そのままの家居を見ることもある、みどころの多い地域である。 |
*粟生光明寺、長岡天満宮、松尾大社、勝持寺については独立項目があります。 |
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■ 月読神社 つくよみじんじゃ |
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松尾さんの南の山裾にひっそり鎮座する京でも最古クラスの古社で、祭神はアマテラスやスサノヲと兄弟神の月読尊。 壱岐氏との関わりが深い海の神様で、月だけに安産守護のご利益もある。 松尾山国有林を背負う、緑深いやしろである。 |
拝殿 手前は舞殿 | 舞殿脇から見返り |
鳥居をくぐると短い石段、両翼に塀を巡らせた門をくぐると、拝殿前に舞殿というつくり。拝殿前のステップには両脇からよく繁った緑が迫る。 |
京都市西京区松室山添町 |
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■ 大原野神社 |
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小塩山の懐、勝持寺と隣接する古社。 長岡京遷都の際に奈良・春日大社より勧請されたもので、ゆかりは狛犬がわりの「狛鹿」にもうかがえる。 殿舎は、慶長年間に後水尾帝により再興された。 緑深く、下界の紅葉が今ひとつの年にも山気を吸って鮮やかな色づきを見せてくれる。 |
春日造の本殿 | 鳥居を見返る |
痛快・三匹が斬る!「千石どり 裸踊りも厭やせぬ」は、千石こと久慈慎之介が萩の頑固な老武士に見込まれ養子となるお話。結局そのじいさんは藩を食い荒らすシロアリによって命を落し、三匹が仇をとる運びとなるが、ラストで燕陣内が罪滅ぼしの富籤抽選会を催すのが本殿前。富籤突きが行われているところに役人が咎めにやって来て、三匹は逃げ出し去ってゆく、このシーンでは上写真右の参道と鳥居が映っている。松方弘樹が遠山左衛門尉を演じた名奉行遠山の金さん「恋女房が危ない!べに花の秘密」では、タイトルの内儀のお参りの場面に本殿が使われ、足もとに狛鹿が見られる。拉致現場は左写真の石段。悪者の一人に福本清三氏の姿がある。 |
参道脇の蔵 | 鯉沢池 |
鯉沢池の橋 |
鯉沢池は鳥居外の参道脇にあり、境内に湧く名泉・瀬和井の泉と水系を一つにするという。 汀には杜若、水面には睡蓮を浮かべ、みごとな眺め。築山の間には浅く反った橋が架かっている。この橋では、先述の「三匹」の話で、頑固じいさんの娘と千石が語り合うしんみりしたシーンが撮られている。 鬼平犯科帳2「春の淡雪」では、密偵のおまさに火盗同心の配下について怪しいと報告を受ける長谷川平蔵の姿が、上写真左の蔵前に見出せる。 このあと、その男を盗賊と見込んで張り込むくだりでは、千束池という設定で鯉沢池が使われている。池から飛び立つ鴨を追ってカメラがパンし、橋の画はコマ送りにしても弁別し難いほど流れているが、よくよく見ると欄干や橋桁が確認できる。 千束池(洗足池)は武蔵野台地の端にある湧水由来の池で、そのことを勘案してのチョイスでもあろうか。そう考えると、なにやら築島の木が日蓮上人袈裟掛けの松に見えてくるような気もする。 このくだりではつなぎ笛でおまさと五郎蔵が連絡をとるシーンがあるが、おまさのいる竹林は別のところで撮られている模様。鳥の鳴きまねをするにあたって、鬼平が凝視しているのを恥ずかしがった五郎蔵が横を向いてくれるよう頼むほのぼのした場面もある。 |
京都市西京区大原野南春日町 |
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■ 善峯寺 よしみねでら |
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西国三十三ヶ所・二十番札所として賑わう善峯寺は、恵心僧都の高弟が開基した古刹で、五代将軍・綱吉の生母桂昌院の篤い帰依を受けたことでも知られる。桂昌院のゆかりはそこここに見られるが、ここの名物である日本一の松と言われる「遊龍松」もお手植えのものと伝わっている。境内からは洛中が一望でき、交通の便の悪さをおしてここに登った甲斐ある絶景である(左写真は釈迦堂前からの眺望。遠景中央は京都タワー)。 |
観音堂 | 山門 |
阿弥陀堂下の坂 | 経堂 ( えま堂 ) |
本堂である観音堂は、札所らしく巡礼の姿も見られいかにも霊場らしい。 ここは、ニュー・三匹が斬る!「四国八十八ヶ所、命を賭けた夫婦旅」で結願の寺・大窪寺として使われた。暴君から逃れて遍路道をゆく若い恋人たちを救い得なかった三匹は、彼らの遺品を持って大窪寺に代参する。このくだりで、三人は山門をバックに石段を登り、観音堂へお参りしたあと成敗に赴く。 暴れん坊将軍 IV「女大学!亭主を男にする法」は、仇討ちに倦み疲れた夫婦を新さんが助ける話で、夫と別居している妻が身を寄せている浅間寺としてここが使われた。妻女を説得する徳田新之助のくだりで、境内を逍遥しながらのシーンなので、各所がふんだんに映っている。わけても阿弥陀堂下坂の石畳や経堂の屋根などは特徴ある姿がよく映えていた。 暴れん坊将軍 VIIでは、山門や多宝塔が市中の情景に使われた。「吉宗、誰が為に泣く」では、町娘の下駄の鼻緒をすげ替えてやる徳田新之助の姿が観音堂下の坂に見られる。このあと娘は不幸に落ち儚く散るが、彼女を思って歩く新さんがラストにもう一度坂をゆく。 |
京都市西京区大原野小塩町 |
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■ 勝竜寺城公園 |
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長岡京跡の南にある、1992年に整備された公園。城は応仁の乱において西軍の拠点となり、戦国期には細川氏が信長の命で入城している。その後山崎合戦において明智光秀が陣を張ったこともある。 細川氏が主だった頃には、忠興のもとに光秀の娘・お玉が輿入れしていて、二人の像が城内の公園に設けられている。この地ではお玉こと後のガラシャ夫人を偲んでイベントが催され、町では彼女の名を冠した菓子が売られていたりもする。 |
高麗門 |
ここは、町奉行日記(1992・渡辺謙主演)において、丹後田辺藩のお城として使われた。濠外の大掃除を仰せつかった新任奉行・望月小平太が下城してきて親友である目付の堀と話すシーンである。彼らは上写真の高麗門を出てくる。天守には福井の丸岡城を使い、城下町のシーンには妙心寺の路地を使ってあり、勝竜寺城公園高麗門とつなげて使われる。小藩である田辺藩のお城としては、まことによく適した画であった。小藩の城門には大寺の門を使うことが多いが、ここの門を使うとお寺よりよく映える。姫路や彦根などでは大きすぎて小藩という雰囲気は出ないので、貴重なものと言える。 *門の内に天守のように見えるのは資料館。天守は復元されていない。 中は庭園で、石垣と濠が周囲を巡る。 |
京都府長岡京市勝竜寺・勝竜寺公園 |
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