★このページは各項目ごとに分離しリニューアルしました。
更新は新規ページにて行います。
個別ページは以下の通り
東寺 京都御所 神泉苑 堀川 本法寺 壬生


時代劇の風景  ロケ地探訪

洛中点景

東寺・京都御所・神泉苑・堀川・本法寺・壬生

 洛中には、二条城や北野の天神さんや相国寺などという、よく撮影に使われる場所のほかにもスポットが散在する。
京都を表す記号として使われる名所あり、都会のオアシスあり、市街地に残る本物の史跡ありとバラエティに富む。

■ 東寺

 東寺は弘法大師空海の創建になる京でもひときわ古い寺で、正式名を教王護国寺という。講堂内陣には立体曼荼羅が展開され、迫力の密教仏が配置されている。境外からも目立つ巨大な五重塔は、東寺の象徴であると同時に京洛のシンボルである。時代劇に使われるのも、ほぼ塔である。

庭園越しに塔 五重塔見上げ

 水戸黄門でも鬼平犯科帳でも、東寺の塔は舞台が京都であることの記号として使われる。なかには、もろに東寺設定のものもある。
2004年の大河ドラマ新選組!では、上右写真のような見上げの塔をオープニングイメージのひとつとして使っている。まれに鬼平犯科帳「鬼火」のように、江戸市中設定での使用もある。

講堂北面 講堂南面 金堂と塔

 2001年の松平健を主役に据えた鞍馬天狗では、天狗こと倉田典膳と、新選組局長・近藤勇のサシの果し合いが東寺で撮られている。鍔迫り合いを繰り広げる二人は金堂と講堂の間にいて、交えた刃の向こうに五重塔が来るという構図。鞍馬天狗だからもちろん設定は京洛で、お土産写真のようにキマった画になっている。

京都市南区九条町


■ 京都御所

 御所と仙洞御所を中心として作られた公園・京都御苑は広大な都市のオアシス。御所以外の敷地は緑地となっているが、ここは維新前には公家屋敷の立ち並ぶ町であった。禁門の変の火災で焼失したものも多く、以降順次私の施設は毀たれていった。

建礼門越しに紫宸殿 蛤御門
 御所もまた、京都を表す記号である。イメージに上写真の紫宸殿の画がよく使われ、ナレーションなどが被される。室町御所に擬しての使用例もある。実相寺昭雄監督のあさき夢みしでは御所として建礼門や周囲のみかわ水(溝)などが使われた。諸国を経巡り京へ帰ってきた四条が、北面の武士に上皇薨去を聞くくだりである。
 蛤御門は近代の幕開けとなる歴史の転換期の生々しい現場で、幕末ものでは見せ場の戦闘シーンとなる。
烏丸通に面するゆえ現物を使うことはほぼ無く、セットでの撮影が多い。よく似た作りのよその高麗門を使うときもある。叡山の麓の赤山禅院総門を使って撮られた竜馬がゆく(2004TX)などの例がそれである。「東山界隈/赤山禅院」の項参照
環境省京都御苑管理事務所

 御苑の南西、椹木口を入ってすぐのところにある管理事務所の門は、よく奉行所に使われる。元の閑院宮邸跡で、上写真は北門。
東側の門もなかなかの雰囲気だが、北の長屋門はよそにないスケールで、得難いスポットと言える。
必殺仕置人「恋情すてて死の願い」では北町奉行所として使われ、門前で待つ棺桶の錠の姿が溝の中にある(上写真左下、遠景の塀は宗像神社)
助け人走る暗闇仕留人必殺必中仕事屋稼業必殺仕業人必殺からくり人などでも北町として使われた。当初「必殺」として企画されたという逸話を持つおしどり右京捕物車でも北町はここで、ジュディ・オングが中村敦夫の乗った箱車を押して入ってゆく。必殺シリーズでは南町に大覚寺明智門を使うことが多いが、海鼠壁を持つあちらと見比べるのも面白い。
必殺以外では、勝新太郎が横紙破りの北町同心を演じた、ちょっとエロチックな場面が多い怪作映画御用牙の北町もここに設定されている。

京都市上京区京都御苑


■ 神泉苑

 太古、水底であった山城の地、神泉苑はその湖底の名残りをとどめるとされる。都の造営にあたって泉を中心につくられた広大な庭は、その後二条城に敷地をとられたりして現在はごく小さなものとなっているが、御池通の名はここ神泉苑の林泉に由来するものである。
敷地の過半を池が占め、中島には善女龍王を祀る。中島に渡された法成橋は朱に塗られ、水面にシンメトリの美を映しだす。

善女龍王社と法成橋 法成橋東詰から西望

 鬼平犯科帳3「忠吾なみだ雨」は、珍しく素人娘と相愛になる火盗改同心・木村忠吾のラブストーリィ。そのデートスポット・新堀端の竜宝寺として神泉苑が使われている。吉宗評判記 暴れん坊将軍「乾盃!藪医者」でも小石川療養所の若い医師と町娘のデート場所、ぶらり信兵衛道場破りでも信兵衛さんと芸者・こふねのデートスポットに使われている。江戸を斬る IIでは遠山金四郎と「紫頭巾」おゆきとのツナギ場所だが、雰囲気はほとんどデートである。遠山奉行と言えば、1968年の大奥「江戸っ娘 繁盛記」でも、遠山左衛門尉がらみのシーンで使われている。
いずれのケースも朱の太鼓橋が使われており、よく江戸情緒を醸し出していて、あたりに高いビルが建っていたり、池の向こうに二条城があるなどとは感じさせない。

京都市中京区御池通神泉苑町東入ル


■ 堀川

 堀川は平安京造営に際して掘られた溝渠で、かつては舟運に用いられたり、友禅流しが行われた川である。川筋の地下水が茶の湯の文化を生み出したこともある。また、一条に架けられた戻橋はさまざなな伝説を秘めている。
現在の堀川は下写真(左、中央)の如く三面張りの水路で、流水もほぼ見られない。堀川通が幹線として整備された折り暗渠化された部分も多く、開渠すら僅かな区間である。水は1960年代初頭に断たれ現在に至るが、いっときゴロ石の河床を晒していた期間がある。ちょうど市電が廃止された頃だったろうか。この石河原を荒地に見立てて撮られた作品が、必殺シリーズに散見される。

二条 七条 古写真

 暗闇仕留人第一話「集まりて候」では、裏稼業の最初のツナギの場として使われた。主水が役人であることから警戒し反発する糸井貢は、仕事には参加しないと去ってゆく、その後姿が長回しで撮られている。必殺必中仕事屋稼業では、ツナギの場に使われたほか、最終話で、ぶざまに生き続けると宣した知らぬ顔の半兵衛が陽炎立つなか歩み出す印象的なラストシーンが撮られた。新必殺仕置人では、巳代松の竹鉄砲発射実験の場に使われた。必殺仕事人では、調べのすえ仕事にゴーサインが出されるツナギの場として使われた。いずれも、しらじらと乾いた河床が心象をよく表し、他では得られない独特の画面を作り出している。

京都市上京区


■ 本法寺

 堀川寺之内、表・裏の千家の祖が開いたゆかしい庵があり、寺が密集するエリアの一角に本法寺がある。
日親上人の開基になる日蓮宗本山の一で、光悦の庭と等伯の涅槃図を蔵することで著名。
仁王門は、今は失われた水脈・小川(こかわ)に面して建つ。

仁王門 多宝塔と本堂
開山堂 本堂
 1983年版大奥「醜聞に消えた美女」に見える護持院には、本法寺の多宝塔と本堂大屋根を仁王門越しに見たショットが使われている。護持院は、桂昌院の深い帰依を受けた僧・隆光が起こした巨刹。数々のドラマで、将軍生母に取り入り希代の悪法・生類憐みの令発布に関わった怪僧として描かれる隆光だが、実のところそれを示す証拠は残っていない。事実はさておき、隆光は新義真言宗の僧であり、神田橋御門外にあった護持院はたいそうな大寺と伝わるので、多宝塔があって大きな本堂が背景に来る本法寺が護持院として用いられたのは、理屈として納得がゆく。
 同じシリーズの「女帝への階段」は、七代将軍生母・月光院の成立を描くお話。側用人の間部詮房に見出され六代将軍家宣の側に上がったお喜世の方が、男児出産のお礼参りに訪れる芝増上寺がここに設定されている。お喜世の方の駕籠が入ってゆくのに仁王門が使われ、寺の廊下をゆく一行に本堂前廊が使われた。このとき、ひと目お喜世の方を拝もうと群がる民のなかに実父である僧が交じっていて、見届けて去り際、男と出奔した妻と出会う。お喜世の方の母であるその「妻」は落ちぶれて乞食となり、お堂の下で三味を弾く、そのお堂は開山堂。お喜世の方の性格形成に影を落とした「姦婦」の奏でる糸は諦観の果てに澄んで美しく、父僧は聞き惚れる。父母の邂逅を知らぬ娘は堂上をゆき、相見ることなく増上寺のシークエンスは終わる。
京都市上京区本法寺前町

■ 壬生

八木邸に掲げられていた隊旗 いまの壬生一帯はぎっしりと建て込んだ宅地であるが、近代以前は農村だった。ここに幕末、突然関東の荒武者たちがやってくる。彼らは時の政治の舞台となり物騒な事件が頻発する京都において上洛する将軍を警護するために集められた浪士たちで、のち新選組と称し京都守護職・会津中将のもとで洛中取締りの警察業務にあたった。新選組中核メンバーの近藤勇らは、はじめに割り当てられた宿所の郷士・八木家をそのまま屯所とし、のち西本願寺に移るまでここで過ごした。八木邸時代は、池田屋事件や禁門ノ変などで大いに面目をほどこした、新選組にとっての黄金期であった。

八木邸 長屋門
幔幕には朝倉氏ゆかりの紋
八木邸 式台玄関
男性は親切なガイド氏
 その八木邸は今も当時の姿をとどめており、ご子孫が住まわれている。文化財指定を受けた部分は公開されていて、ガイド氏の詳しく興味深いお話を伺える。
この八木家の長屋門は、渡辺謙が家族思いの南部浪人を演じた壬生義士伝で、当の八木家として使われている。役者さんが入ってのシーンではなくセットにつなげるイメージカットだが、本物だけに真に迫るものがある。また、ほかの新選組ものの映画やドラマでも八木邸内部はよく再現セットが作られており、芹沢鴨が暗殺された部屋の鴨居に残る刀痕をドラマの設定に取り入れた大河ドラマ・新選組!などの例もある。
 八木邸付近には、同じく屯所に徴発された前川邸や、隊士の墓が残る壬生寺、清河八郎の演説がぶたれた新徳禅寺などの旧蹟が残っている。
壬生寺 新徳禅寺 前川邸 前川邸 蔵
京都市中京区壬生 坊城通付近

・ロケ地探訪目次 ・ロケ地探訪テキスト目次 ・ロケ地資料 ・時代劇拝見日記
・時代劇の風景トップ ・サイトトップ