布留川  中流 市街地の都市河川  天理市布留町〜丹波市町


源流/天理ダム/ダム下の里川/布留の里へ/市街地の都市河川/田園地帯の下流部


 布留の里へ出た川は、以降都市河川の様相を呈する。
天理教施設群を横切ったあとは、丹波市の古い町並みへと流れてゆく。

和楽橋から 左上流、右下流望

 前項で谷口から見遣った下流方向に見えていた橋は上写真左のもの。建物がどっかりと乗っている珍しいもので、天理教施設である。
上写真を撮ったのは「和楽橋」という、天理大学への道に架けられた橋。昭和中期までは風情ゆたかな木橋「わらく橋」があった。

  石上 布留の高橋高々に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける (万葉集巻12-2997)

 布留の高橋については諸説あり、周囲の様相も激変しているのでここを万葉故地とは定め難い。
しかし川水は、高度成長期に見られたひどい汚染からは回復している。
ここでは、布留川南流が左岸から取水され、本流の岸辺をさらさらと流れてゆく。

天理教本部前 左は、天理教本部前の大橋から下流を見たもの。
何車線もある大きな橋で、うっかりすると下に川が流れていることなど判らない。橋の規模が大きいのは、谷がけっこう深いためもある。高みから眺めると、河床をくねくねと蛇行する姿がよく判って面白い。
川端はプロムナードとして整備され、散歩道となっている。川におりるテラスもあり、先には飛び石橋も設けられている。
人工の匂いがつよい部分だが、川辺におりてみると、植栽が密なせいもあり喧騒とは切り離された空間となっていて、無数の小鳥が木にすだき、川にはサギ類が立ちこんでいる。

飛び石橋 石の間をゆく水
本部前の大橋を見上げる プロムナード東望

 飛び石橋は、半ば草に覆われかけている。川が押し流す土砂が溜まり、その上に猛々しく草が繁っている。
河床は砂地で、川はごく浅い。
プロムナード部分は新しく作られたものだが、水が当たる部分の護岸は昔とあまり変わっていない。
適度に放置された河原はひとつのビオトープのような態となり、川水の汚れをも吸着してくれているようである。

ラーメン店裏手 御津詰所付近

河畔を歩く修養科生 プロムナード以降、市役所前までは、古い護岸がそのまま残る一角。右岸には国道25号が通じる。ここは天理教本部前の道ゆえ「親里大路」とも言い、見事な銀杏並木が見られる。上写真左のキャプションの「ラーメン店」は昼間から営業しているほうの「天ラー」で、屋台のそれは夜に中大路に出る。このあたりの風景の特徴のひとつは、町を行く法被姿の天理教の信者さん(左写真)で、教祖の没した時刻・昼の二時に市街に流されるサイレンは知らない人を驚かせることもあり、ここが宗教都市であると実感される。

丹波市 川原城の交差点で国道と別れ北流を分けた川は、向きを南西に振り丹波市の旧市街へ流れてゆく。
「上つ道」が川と交差するあたりには、古い家並が残されている。ここは古い宿場町で、昔は国鉄の駅名も「丹波市」であり、市制移行前は山辺郡の中心地であった。
駅が移動し、中心市街が北に移ってしまい寂れた感は否めないが、老舗の商家は今も健在で、造り酒屋などもある。左写真の右手建物はその酒屋で、美酒「白堤」を醸す。新酒の季節には酒粕を頂けるときもあり、これで作った粕汁は絶品である。
←左写真は丹波市町を流れる布留川(上流望)

宮崎酒造 上ツ道に残る市場跡

 丹波市町に残る上ツ道は、伊勢や長谷に向けての参詣路でもあり、往時は人馬行き交う賑わいを見せた。
江戸期には六斎市が立ち、その遺構が今も残っている。屋形の脇に見える「蓋」をされた部分は、おそらく馬に水を飼った水路の名残りと思われる。


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