八瀬〜上高野
■ 八瀬
八瀬(やせ)の名のいわれは、山峡で瀬が多いことからと伝わる。
異字の「矢背」は、壬申の乱の折り大海人皇子が矢を射掛けられたという故事を秘める。
名の通り八瀬では中心の一部を除き、ほぼ狭隘な谷地で里は散在。
川はその山峡を激しく蛇行する。
八瀬の里の入口までは鉄道が来ていて、ケーブルとロープウェイで比叡の御山に導かれる。
京都市左京区八瀬野瀬町 左上流、右下流望 | |
山峡ではあるが川相は穏やか、河畔は緑濃く川面にヤナギが枝を伸ばす。
建武の頃、尊氏に追われた後醍醐天皇がこの地を通ったという。その折り功あった八瀬の里人は年貢を免除され、皇室行事に駕籠丁役をつとめた。いわゆる「八瀬童子」で、大正帝の大葬には葱華輦を担ぎに東京まで馳せ参じたという。
左写真は八瀬天満宮
■ 上高野
京都市左京区上高野 左上流、右下流望 | |
河畔を走る叡山電鉄 | 上橋付近の川面 |
堰堤 | |
淵 | 小魚の群れ |
比叡の西麓、西明山の裾をめぐる川のほとりにはR367と叡山電鉄が通じる。時に大渋滞も発生する道の傍らに流れる川は、堰も多く作られ護岸も整備された相ながら水は清く澄み、魚影も濃い。
堰堤上や淵の底には多く砂を溜める。
このあと岩倉川と合わさり南転し、賀茂との合流を目指す。
左写真は祟道神社、河畔にある早良皇太子を祀る古社で一帯の鎮守。上御霊さんや下御霊さんと違い、ここの祭神は「祟道天皇」のみ。