高瀬川 七条〜十条(河口)
七条橋 | 橋下の汀 |
七条まで下ると汀に草が生い茂る部分なども見え出す。澄んだ水が葉を洗ってゆく。
この付近では地元有志によるホタルの保護活動が行われている。
吾妻橋 | 旧流路 |
七条から下の高瀬川は、幾度となく流路を変更されてきた。
元は七条通の河原町付近に大きな貯木場があり、これは材木町などの地名に名残を留めている。
高瀬川がくねくねと曲折するあたりは内浜といったが、これは河道の変遷により御土居の内側を流れるようになった故の称である。
貯木場は舟運の衰微によりなくなり、また鉄道の敷設により川は次第に東へと移ってゆく。
塩小路から下の旧河道は、ずいぶんと京都駅側にふくらんだカーブを描いていた。この付近は昭和初期に水禍を蒙ったところ。
そして現在、塩小路から東海道線にかけての区間が捷水路化されている。
改修は、ちょうど上写真左の吾妻橋から下で行われている。
旧流路は、二条城あたりの堀川と同じ様態の三面張りの中に細溝を切った形になっている。
これは河原町通からも同様のものが眺められる。
捷水路化された改修部分 |
2004年12月現在、捷水路はほぼ出来上がって橋も架かっているが、親水プロムナードが整備中。
工夫を凝らした整備がなされる模様である。
柳原橋 | 須原通から東望 |
柳原橋から下では、また曲折する姿が見られる。
川は須原通のほうへ東に曲がってゆき、祟仁小学校の中でビオトープとなったあと東海道線をくぐってゆく。
上JR鉄橋、下奈良線橋脚 | JR奈良線鉄橋 |
東海道線をくぐったあと、河道はまたカーブを描きJR奈良線の鉄橋をくぐる。
鉄橋の橋脚は煉瓦作りの渋いもの。
親水護岸 | 須原通と再び会う曲折部 |
曲折部は、東海道線の手前で別れた須原通と、東九条の北河原町付近で再び出会う。
このすぐ上手には、ステージのような護岸が新しく作られている。
本川のほうには、カモがのんびりと羽を休めている姿が見られる。
南河原橋 | 川中庭園 |
下町では、川の真ん中にちゃっかり植木を置いた「庭園」も見られる。
どこからか飛んできた種が根付いて、ススキが穂を揺らしていたりしてなかなかの風情。
東山橋下 | 北松ノ木橋から |
東山橋は、九条河原町から高瀬川iに鴨川、JR奈良線と京阪を一気に越えて東大路にスイッチする長大な橋。
これをくぐったあと、高瀬川は鴨川のくねりにあわせてカーブし、合流を目指して流下する。
鴨堤脇の最下流部 |
合流手前では、鴨の堤沿いをしばらく流れる。
ここでは今までのような運河の相ではなく、里の小川といった風情で河畔には疎らに木も生えている。
最下流部ゆえ河床にゴミなども目立つが、流水は清澄なままである。
河口 |
合流は鴨川右岸堤を切る形でなされる。
現在河口はきれいに改修され、整然と鴨川に注いでゆく。
かつてはこのあと鴨川を突っ切って高瀬舟が渡され、伏見港へと運ばれていた。