高瀬川

鴨川由来運河 ・流路 鴨川〜//〜鴨川 訓:たかせがわ

 京都市中部を流れる、鴨川から取水された運河。

■ 開削の経緯

一ノ舟入 高瀬川は角倉了以によって安土桃山時代末期の慶長年間に開削された運河で、ここから伏見の港までをいわゆる「高瀬舟」が往来し物資を運搬した。航行する船は船底の浅い平らな、幅のある浅川用のもの。流れが急で水深が浅いため棹は用いず、綱で舟を引き上げたといわれる。
高瀬川開削のきっかけは方広寺建設のための木材運搬で、完成まで3年、総工費7万5千両。水域の増水・減水に対処するため無数の悪水抜溝(おすいばっこう)が設けられた。
 高瀬川起点には一之舟入跡が残され高瀬舟が展示されている。このような舟入は二条から四条の間に七ヶ所あったが埋め立てられ今は無い。舟運は明治に至るまで用いられ、最盛時には240余隻の就航をみたという。

■ 流程

みそそぎ川・高瀬川取水口 京都市上京区の鴨川右岸・荒神橋付近より水を取り入れ、鴨川右岸河川敷を鴨川に沿って流れるのが「みそそぎ川」で、夏場には鴨川畔の料亭が競って川床をしつらえる、あの水路である。みそそぎ川は取水口よりしばらくは鴨川公園緑地の下を暗渠となって流れているが、対岸に疏水の流れ込みを見るあたり・中京区の京都市職員会館の東付近で地表流を現す。この流れは鴨川沿いの歩道より少し高めに導かれ、中京区東生州町に至り河川敷から市中へ向けて一部水を分けて取り入れられる。ここが高瀬川の始まりであり、旧角倉了以邸(現・がんこ高瀬川二条苑)の庭に引きこまれたのち、木屋町通り沿いを南下し繁華街を貫いて流れてゆく。ここから河原町十条の鴨川陶化橋付近で再び鴨川に注ぎいったん流程を終えるが、高瀬舟は鴨川を斜めに突っ切り、伏見西郊で再び運河を走り港に至っていた。

流程の詳細

三条小橋 二条〜三条
  河畔には多数の碑が立つ。
  幕末史を凝縮したような一画。

十軒町 三条〜五条
  数多の酒肆がひしめく木屋町。
  昼よりも夜のほうが賑わう街。

正面橋付近 五条〜七条
  川沿いの木屋町が終わり、
  暮らしの息遣いが聞こえてくる

河口 七条〜十条(河口)
  整備が進む下流域。
  伏見を対岸に見て鴨に流出。

*参考 ・みそそぎ川  ・淀川支流 東高瀬川

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