高瀬川 三条〜五条
三条木屋町 TIME'S |
三条通のすぐ下の高瀬川畔には、建築家・安藤忠雄氏の設計になる複合商業施設「TIME'S」が建つ。
思い切って低い床を作り、川と人の距離を近くするデザインがなされておりインパクトが強い。
小路を意識したアップダウンがあったりと動線も楽しい。
大国橋下の流れ | 南大国橋から東望 |
浅瀬がさらさらと音を立てる川相が続くが、時に段差もあり瀬を噛むさまも見られる。
流量が確保されているので、繁華な都市部にあっても常に清澄な流れが維持されている。
上写真右、奥の建物は先斗町歌舞練場。毎年五月に舞妓や芸妓による華やかな「鴨川をどり」が開催される。
立誠小前の碑 | 角倉了以顕彰碑 |
立誠小前から下流望 | 河床の落葉 |
土佐藩邸のあった場所は立誠小学校になっている(現在は廃校)。
門前には角倉了以顕彰碑のほか、高瀬川の詳細な歴史地図も掲げられている。
土佐藩邸と河原町通を隔てて西には、坂本竜馬が暗殺された近江屋があった。
河畔には桜並木が続き、春の開花期のほか晩秋に川面を彩る落葉も美しい。
紙屋橋たもと | 十軒町橋から西望 |
紙屋橋は旧称二之船入橋、十軒町橋は一之船入橋。名の通りここにはかつて船入りがあった。
三条−四条間、河原町通と先斗町通に囲まれた一画はびっしりと建て込んだ歓楽街。
細い小路のまた奥に狭い路地があったりと、いかにも京都らしい街並み。
十軒町橋を西に入ったところには幕末「桝屋」があった。近江の郷士・古高俊太郎が身をやつして営んでいた薪炭店である。
ここから連判状や武器弾薬がぞろぞろ出てきて、新選組の探索の結果池田屋討ち入りにつながった。
現在は味噌汁の美味しい料理屋になっている。
新橋 | 右岸汀から新橋を見る |
四条通手前に架かる新橋は、丸く膨らんだ広場状のデザイン。残念ながら橋上は自転車置き場になっている。
橋たもとには川へ降りるテラスがつけられ、木屋町の説明や周辺の史跡を案内したプレートが設置されている。
四条小橋下 | 於石橋下 |
四条通から下では、鴨川が向きを西に振り始めるのに従い、木屋町の街並みも高瀬川もつれて角度を変える。
川相は変わらないが護岸が心持ち低くなり、増水時が心配なほど家並みと水面が近くなる。
上写真右、奥に白く光る先には鴨川の団栗橋。ここでは一時鴨川と高瀬川がぐっと接近する。
四条小橋と於石橋(おせきばし)の間、鴨と高瀬の境には御蔵入りがあった。今の西石垣通と木屋町通がつくる三角形の部分である。
また、於石橋下の右岸には船廻場があった。
綾小路橋 | 木屋町通 |
鳥弥三 | 川から水を飲む猫 |
綾小路橋は旧称鳥羽屋橋、御蔵入はここまで続いていた。
川と平行する木屋町通は、ここまで来るとけばけばしい装飾を施した店は少なくなり、しっとりと落ち着いた町屋が目立つ。
綾小路橋たもとには天明の頃より続く老舗の料理屋・鳥弥三がある。鳥の水炊きが名物で、竜馬が鶏肉を買いに来たともいう。
護岸が低いゆえ、首を伸ばすと猫でも水が飲める。
たん熊本店前 | 高辻橋 |
仏光寺橋付近では、左岸側に老舗料亭が軒を連ねる。
朝、前の舗道に水が打たれた情景が絵になる。
高辻橋下の右岸側には船廻場があり、浜地が広くとられていた。
橋は木で装飾され、桁隠しもついている。
高瀬川に架かる橋はモダンなものか素っ気無いものが多いなかで、珍しい。
個人橋 | 五条通の暗渠を望む |
五条で木屋町通は終わる。この付近では商家より一般住宅のほうが多い。
個人宅へ向けて架かる専用橋も見られるようになり、郵便屋さんも渡ってゆく。
川は、五条通がはじまる手前から早々と暗渠になる。