高瀬川  五条〜七条


五条下、南橋詰橋から 河原院址の大榎

 五条で接近した鴨川と高瀬川は、このさき一時離れてゆく。
川相は変わらず、しかし河畔の街並みはかなり変わる。
上写真左の看板は遊郭の名残の歓楽街のもの。お茶屋や置屋がある。
またこの川端には河原院跡の碑がある。
河原院とは左大臣源融の大邸宅で、庭には陸奥の塩竃の景をうつし愛でたと伝わる。
左大臣邸は、当時の文人のサロンであった。
碑を抱く大木は屋敷林の名残りといい、また近年まで残されていた籬の杜(まがきのもり)の生き残りでもある。

植木と川 茶屋

 六軒橋付近はほぼ宅地。川端にはてんでに植木鉢が置かれていて、四季折々に風景を彩る。
宅地の中にたまに上写真右のようなお茶屋も残っている。
玄関には時代劇の湯屋のような唐破風がついている。

上の口橋 上の口橋から

 河床は変化なしだが、河畔は多様な樹木が鬱蒼と茂るようになり川面に影を落としている。
一帯はほぼ宅地、たまに団体のいかついビルも建つ。
この付近の銭湯には、かつての高瀬川の情景を描いた絵があると聞く。

正面橋 個人橋?
正面橋から東望 橋たもとの食堂

 正面橋は何の正面に当たるかと言うと、東へずっと行った突き当りの豊国神社。これは方広寺の境内にある。
例の「国家安康」でいちゃもんをつけられた曰くつきの鐘がある、大仏さんの寺である。「正面」には大仏殿があった。
近くの食堂には「キコク」の文字が見える。これは枳殻邸(渉成園)のことで、西を遠望すると瓦を練りこんだ枳殻邸の東塀が見える。
枳殻邸は源氏物語で六条院のモデルとなった邸宅で、もとは六条御息所の屋敷があったという設定。
物語に描かれた「六条わたり」の下町の情景も偲ばれる界隈である。
上写真上段右の「個人橋」に掛けられているのは川端にある製麺所の巻き簾。暮らしと川が密着した微笑ましい情景。

昭和橋

 昭和橋では水生昆虫を採集しての水質調査が行われていた。
斯様に川に関わる人々がいることで保たれる環境を考えさせられる。

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