川を訪ねる旅

大和川 国中を歩く

−  桜井市北西部から田原本  −

桜井市大泉 桜井市大泉 親水護岸

 桜井市北西部を流れる時の初瀬川の特徴は「浅い」ということに尽きる。もともとそんなにあるわけではない水が堰堤によって止められ、僅かしか流下しないせいである。
水には見た目にも明らかに濁りが入り、水中にはオオフサモなどの水草がびっしりと繁茂している。また、この付近には住宅も多く、生活排水も相当入るものと思われる。
 ただ、ここから少し下流における完全な湛水区間とは異なり、鳥などの生物相は以外に豊かである。カイツブリ・コガモ・カルガモ・サギなどが浅い水面に浮いていたり、点在する草むらに潜んでいたりする。
桜井市大泉地区の左岸堤には階段状の親水護岸が設けられているが川に親しむ人影は無く、川堤に車を停めて昼寝をしているのを見るのみであった。桜井市ではこの護岸を「階段護岸」と称するらしい。
また、土木部設置の説明板によると井堰の上の湛水域にはポーラス構造の魚巣ブロックと擬石ブロックを設置し、自然状態に近づけているとのことであった。

桜井市土木部設置の看板 桜井市大西 白山神社傍から三輪山を見る

 桜井市のはずれ、もう少し行くと田原本町に入る付近で三輪山を川面に映す初瀬川を振り返る。
 絵的には、

三諸の神の帯ばせる泊瀬川 水脈し絶えずばわれ忘れめや  −大神大夫(万葉集 巻九−1770)

を髣髴とさせる風景である。三輪山の麓を大きくカーブして流れる初瀬川は三輪の神奈備が佩く神聖な禊川(みそぎがわ)であった。

桜井市江包 疎林はスサノオ神社 桜井市江包 不法投棄現場

 磯城郡田原本町と境を接する桜井市北西部の江包地区に至ると、写真上左のように水面は鏡面のごとく静まり水の動く気配もなくなる。ゴムでできた堰堤に完全に水を止められてしまうせいである。ここから下はしばらくこのような湛水区間が続くことになる。
川の周囲には住宅は少なく、農地が広がってくる。その農地に水を供給するため普段は堰下へ一滴の水も漏らさぬようになっている。水が動くのは出水時のオーバーフローのみとなる。
 住宅が少ないせいか人の姿が極端に少なく、こういう場所では不法投棄が目立つ。昼間であれだけ寂しいところだから夜間などやり放題なのだろう。例の家電四製品の投棄も少なくなかった。

田原本町蔵堂 烏田川流入 田原本町蔵堂 はせがわ展望公園

 田原本町では前述の理由で湛水区間が続く。単調な景色の連続に歩くのが苦痛になるほどだ。左岸側には最近作られたきれいな公園がいくつも設けられている。同じ様式のそれらは「はせがわ展望公園」と称される。利用者はけっこういたが車で来て子供を遊ばせている家族連れがほとんどで、川を見ている人は一人もいなかった。この付近にはなんにも無いのでトイレが完備しているのは助かる。ここで昼食。

田原本町東井根 天王橋から 田原本町法貴寺 河畔から見える唐古遺跡楼閣

 川相には全く変化が無く、ごくたまにヘラ釣りの姿が見られるのみ。うんざりした気持ちでとぼとぼ歩いていると西側に唐古(からこ)遺跡の再現された楼閣が遠望される。くるんと反り返った中国風の階が特徴的だ。
河畔の法貴寺地区のすぐ隣が田原本町唐古・鍵地区で、あらためてこの川の流域の古い歴史を思う。

田原本町法貴寺 はせがわ展望公園 同公園 石の上にカマキリ

 唐古遺跡を意識したのか、河畔の公園にはこのような展望台が作られ、登れるようになっている。公園のディスプレイの石の上にはよたよたと死に遅れたカマキリが張り付いていて晩秋を思わせる。
このあと田原本町南縁の八田地区で布留川が流れ込んで来る。その下の堰からはまたもとの鉄板の堰となり川相も変化するが、それは次項に譲り田原本町区間を終わる。

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