淀川  

■ 琵琶湖から瀬田川へ  滋賀県大津市


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■ 瀬田川のはじまり

蓬莱山から見た琵琶湖湖尻
比叡山ドライブウェイから南湖の端
建物は大津プリンス、橋は近江大橋
大津市晴嵐の膳所・晴嵐の道
橋は近江大橋
近江大橋 左岸下手から 近江大橋下手左岸から唐橋遠望

 琵琶湖も、近江大橋を過ぎると極端に狭くなる。ここが湖尻で、いよいよ川となって流れ出す。
下に南郷洗堰があるので水は流れもなく静か。幅こそ狭くなったものの、見た目はまだほとんど湖。
区分上の瀬田川のはじまりは右岸(西岸)が大津市晴嵐の日本精工前あたり、左岸(東岸)が大津市玉野浦の漕艇場付近である。

大津市晴嵐
盛越川河口付近
大津市玉野浦
瀬田川水道橋
大津市玉の浦
橋は近江大橋、建物は大津プリンス
大津市玉の浦
対岸は晴嵐

 名を変えたばかりの川の風景の特徴は船。
滋賀県立琵琶湖漕艇場をはじめ、右岸にも左岸にも各種団体のボート小屋があり、いつもたくさんの船が練習に出ている。
維新の頃横浜で英人が伝えたスポーツはすぐに日本人の心をとらえ、明治中期には早や大会が琵琶湖で開かれている。
瀬田川は、埼玉の戸田とともに漕艇のメッカである。幾人もの漕ぎ手が水を掻いてゆくさまは勇壮で、見ていて飽きない。
川畔はコンクリート護岸であるが、汀のところどころにはヨシの群落も見られる。

JR東海道線の車窓から上流望 橋は水道橋

■ 瀬田の唐橋

唐橋 東詰下手から西望
唐橋 鳥居川量水標

 瀬田川には、北から順に東海道本線、国道一号線、唐橋、新幹線、名神高速と、次々と重要なライフラインが渡ってゆく。
唐橋はなかでも古くからある橋で、現在は地方道となっているが、東西の要衝となるこの橋をめぐって、古来さまざまな攻防が繰り広げられた。
古くは上代の壬申の乱、鎌倉期の承久の乱において激戦地となり、戦国期にも重要な戦略ポイントとなった。
その都度焼かれ落とされ姿を変えた橋はまた、近江八景の一「瀬田の夕照」でも知られた。
唐橋は中州を跨いで渡っていて、現在は1979年建造のコンクリート橋。景観に配慮した作りで、擬宝珠や桁隠しがついた優美なもの。
橋たもとにある鳥居川量水標は、明治7年にオランダ人技師エッセルの指導のもと作られた施設で、近年まで琵琶湖の代表量水標であった。
現在は数地点の平均をとって水位を出しているが、琵琶湖の渇水が報じられるときは今でも鳥居川量水標が映し出される。
この量水標の零点は、大阪城天守閣とほぼ同じ高さである。

唐橋と中州 下手右岸から
矢印が唐橋
唐橋下手の瀬田川
唐橋町の右岸から対岸を望む
唐橋近くに出ている漁船 岸辺の屋形船
練習中の舟艇 太公望の仕掛

 いまはのどかな瀬田川付近、広い川に船が出て湖の恵みをすなどる。
近年数を減じているが、ここの特産「セタシジミ」の時雨煮は飯の友に絶品の珍味。
唐橋から石山にかけて、蜆の旨味を存分に味わえる釜飯を出す店も多い。
屋形船を出しての川遊びも行われていて、季節には投網でとれたばかりのアユが網舟上で供される。
鯉やバスの釣り人、ボートの練習など、人影も濃い。

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