木津川  中流の谷あい 大河原〜笠置 京都府相楽郡南山城村〜笠置町  →木津川表紙    


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■ 浅い川と沈下橋

 大河原から下の木津川は、それまでの峡谷から一変して浅い川となる。
依然として山あいを流れるものの、谷は明るく開け、伸びやかな川面が見られる。
この区間に、趣き深い沈下橋が二つ架かっている。

恋路橋から上流を望む 恋路橋を渡るカップル
恋路橋 上流右岸から 恋路橋 下流右岸から

 南山城村に架かる一つには、恋路橋という雅な名がついている。
左岸側の南大河原地区にある恋志谷神社に因むもので、宮には後醍醐天皇を思慕した女官の悲恋が言い伝えられている。当時、帝の行在所は笠置山にあった。
橋まわりは、水遊びに来る人々がいるほか、恋志谷さんの伝説を知ってか知らずか、デートの男女も見かける。
*参考「ギャラリー・木津川恋路橋」

関西本線鉄橋遠望 いまひとつの沈下橋は「潜没橋」と地図などには書いてある。
架かるのは、JR関西本線が大河原−笠置間で木津川を跨ぐ鉄橋(写真左)の西、笠置町有市と飛鳥路の間。よく川が暴れるのか、橋脚には様々に補修された跡がある。南詰の脚の一本は、ごく最近新しいものに変えられた。この際、川のほうも浚えられ中州等の様相は変化している(左写真は1999当時の中州から)
*参考*「ギャラリー・木津川潜没橋」
この橋を渡って北に行くと、飛鳥路の集落を抜けて布目川沿いに柳生へ至る。

潜没橋 上流右岸から 潜没橋 南詰から
潜没橋から下流を望む 潜没橋 下流右岸から

 二つの沈下橋が架かる付近では、川はごく浅く、河畔にはみっしりと竹林が生えている。
有市から笠置へさしかかるあたり、川沿いの国道163号は笠置トンネルに入り、関西本線も幾つものトンネルをくぐる頃、川相は徐々に変化してゆく。
ここからはまた山峡の狭隘部となり、笠置に入ると巨岩を穿つ峡谷となる。

笠置町有市の右岸から 笠置町を走るJR関西本線

■ 笠置

カヌーコースの巨岩 笠置の木津川左岸には笠置山が聳える。元弘の乱の折り、京を逃れた後醍醐天皇の行在所が置かれた、歴史の舞台である。古くは、大友皇子の故事を伝える磨崖仏なども残されている。
山は黒雲母花崗岩から成り、山頂部にも巨岩の多い奇勝。谷には目を剥くほどの大きな岩が累々と連なり、峡谷を成している。左写真は笠置大橋の東、ようやく狭隘部から抜けた木津川。大岩は中生代の花崗岩で、両の山地から押し出されたもの。数メートルにも及ぶ大径のものがごろごろしている。ここはいま由良と並ぶ近畿のカヌーのメッカで教室も開かれ、荒瀬や平瀬を使って、初心者から上級者まで楽しめるコースとして賑わっている。

笠置大橋 笠置大橋上手の砂州
笠置大橋北詰から上流を望む 笠置大橋北詰から下流を望む

 笠置には大正期にようやく吊橋が架けられるまでは橋は無く、渡船があった。
現在は昭和中期に作られたコンクリート橋が架かっていて、デザインは吊橋架橋当時の労苦を記念したもの。
この付近から、木津の砂が目立ちだす。橋の下手左岸には大きな河原が広がり、ここは最近キャンプや遠足の人出で大賑わいを見せている。
広い高水敷には多数の駐車スペースがあり、また笠置駅前商店街では、手ぶらで行っても火から肉まで焼肉一式が揃うので人気がある。

 

 笠置大橋から少し下ると、切山の集落下の国道沿いに大きなドライブインがある。
ここでは野菜の直売なども行われており、休日には人で溢れている。裏手には小さな公園がしつらえられていて、木津川の流れと、時おりことこと走り去る関西本線の可愛い姿が眺められる。

笠置町切山の右岸から 切山のドライブイン

 切山の集落は山手の高いところにあり、まだこの付近の木津は山あいをゆく。
ここから和束を過ぎ加茂町に出るまで、道と川しか無い谷が続く。

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