木津川  中流 みかの原を流れる泉川 京都府木津川市(旧相楽郡加茂町〜山城町域)

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■ 加茂町

加茂町河原の野 加茂町へ入ると、背後に山なみはまだ控えているものの、急に明るい野が開ける。
この小盆地を「みかの原」と呼んだのは上代からで、天平の頃、ひととき都となった野である。都は恭仁京(くにのみやこ)といい、例の聖武天皇が繰り返した遷都のひとつで、ごく短いものであった。恭仁宮跡は加茂町例幣(れいへい、古訓でいへい)に残されている。ここは町制移行まで瓶原(みかのはら)村であった。甕の原の字を宛てる例もある。
上代、ここを流れる木津川を「泉川」と呼んだ。大和の野には見られない雄大な水景は万葉びとに愛でられ、幾つもの歌の題材となった。時代が遷ったのちも歌枕として残り、百人一首の兼舗「みかの原湧きて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらん」の一首は広く知られている。
ここは奈良を中心に考えると「山の背」となるため山背の名が発生し、のち京都の国名となる「山城」の起源となった。
*写真は加茂町河原の野を国道から見たもの

加茂町西の右岸から上流を望む 加茂町法花寺野の河原
伝統スタイルでの鮎釣り 加茂町西の右岸から下流を望む

 木津川は、みかの原を大きく曲折しながら西流する。盛大に砂を流し、大きな河原や州が形成される。
川には、長竿を振りたてての鮎釣りが見られる。ポイントを求めて川中をゆく釣り人を眺めていると、万葉歌の

  泉川 渡瀬深み 吾夫子が旅ゆき衣漬づちなむかも  作者不詳・巻13-3315

が想起される。またこの一首からは、当時の渡渉の習慣もうかがうことができる。

大野山と木津川

 みかの原を過ぎた木津川は、右岸の狛山と左岸の鹿背山に挟まれ、再び山あいをゆく。
上写真は鹿背山丘陵のひとつ、大野山。遠景の山なみの向こうは奈良。

■ 加茂から山城へ

加茂町西・山城町上狛境の右岸から

 加茂町から山城町へと流れる木津川は、ひととき山あいを流れるものの、渓谷は成さず浅い広い川となる。
左岸の加茂町法花寺野(ほっけじの)には密生した竹の防備林が延々と続く。

 このあたりにも鮎釣りの人が出ている。酷暑の折には多数のキャンパーも出ている。
ここからほどなく、川は名の起こりとなった木津の地に出て、山城の野に向かう。

陽をはじく瀬 鮎釣り

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