淀川  ■ 十三大橋周辺  大阪市淀川区・北区境


淀川インデックス
琵琶湖から瀬田川へ/石山、南郷/瀬田の峡谷/瀬田川から宇治川へ/天ヶ瀬ダム
宇治/澱川のはじまり/伏見/三川合流/摂津と河内を境する北水
大阪市へ/十三大橋周辺/最下流の橋梁群/海へ
淀川トップ/サイトトップ


淀川を渡る阪急京都線の車窓から新御堂の橋を望む

 十三(じゅうそう)の名の起こりは、上つ世の条里制からとも、摂津で十三番目の渡しがあったためともいう。
西国街道の要衝として古くから栄えた地で、今も庶民的な酒肆の立ち並ぶ繁華な街である。渡船の名残を伝える焼餅も健在である。

十三大橋から梅田のビル群を望む(南望)

 十三大橋からは、川越しに梅田のビル群の眺望が得られる。近年建てられたスカイビルが特異なフォルムを見せている。
この都会のすぐ足元に、自然豊かな干潟がある。これも橋たもとのごく一部で、続きの高水敷はじきに野球のグラウンドとなってしまうが、繁華街からほんの少し歩いたところに、カニの穴がぽこぽこと無数に開いた「生きている」干潟が残されているのは貴重なことと言わざるを得ない。

十三大橋南詰の干潟 干潟のカニ穴

 泥には、カニのほかゴカイや貝類など無数の生き物が潜んでいる。
したがって、これらを餌とする生き物もたくさん集まってくる。シギ、チドリをはじめ大きなサギ類など、鳥相は渡りのものも含めるとかなり豊か。
そして、シジミを狙ってヒトまで出る。

 人の気配に鳥たちがやって来ない間は、カニの楽園となる。
橋上から覗き込むだけで、いろんなカニが観察できる。
←左クロベンケイガニ、右ヤマトオサガニ(推定)

石灯籠 左岸河川敷の道 河川公園グラウンド

 十三大橋南たもとには、古い石灯籠が残されている。伊丹二里半、伝法一里、長柄二十町、高麗橋一里とある。
河川敷に通じる地道に往時の旅人の姿を偲んでみるが、横では球技に興じる老若男女の団体がお昼の焼肉の準備をしていたりする。

北区大淀北地先 左岸河川敷からスカイビルを望む

 十三大橋の下手には、左右両岸とも河川公園が設けられている。公園といってもたいそうな施設は無く、グラウンドや緑地が広がる。
河川敷には草地もあり、丈高い葦や荻の穂の向こうにビルがのっと顔を出す。
猛々しく繁る野草と近代ビルの取り合わせ、これも大阪という都会のひとつの顔である。

 河川敷には番地が無く、××地先、などと表現される。この番外地にも住民がいる。
川とグラウンドの間、柵の向こうの狭い地に、テントから小屋まで様々なスタイルの「家」があり、畑が作られている。
河原という不安定な土地にあるこれらはもちろん不法占拠なのだが、昨今の景況からはアジールと言ってよいかと思う。
柵にはヨシを刈って作った柴垣なども見られ、小菊をあしらった風情たっぷりの入口などもある。

大淀北 左岸汀 橋は十三バイパス 汀の貝殻
汀に寄せる波 大淀北 左岸汀 橋はJR神戸線

 小屋と畑の間を通らせて貰い汀に出ると、磯の香りが鼻をつく。石にはノリが付着している。
砂地には、シジミの殻が無数に散らばっている。十三付近ではシジミが目立ち、もう少し下るとカキ殻のほうが多くなる。
深みには、ウナギかカニを狙ってと思われる仕掛の棒杭が立っている。
水際にはヨシが密生し、往時の難波の海を偲ぶことができる。難波潟は古来歌枕としても著名。

  難波潟 みじかき葦の節の間も逢はでこの世を過ぐしてよとは  (伊勢・古今集)

汀での貝掘り? 北区大淀北の汀から対岸を望む

十三大橋上を通過する旅客機 このあたりでは、貝を掘る人の姿をよく目にする。ゴカイなどを掘る商売の向きもいるらしい。
川幅はたっぷりと広く、平時はほぼ流れや波も無いが、時おりモーターボートが通過し左右に大きな波紋を作ってゆく。
振り返れば、十三大橋の上を伊丹へ降りる飛行機が大きく見える。降下体勢に入っていて、ランディングギヤを出しているのも目視できる。

前頁「大阪市へ」に戻る 次頁「最下流の橋梁群」へ進む


*フレーム解除

▲淀川トップ  ▲サイトトップ