鴨川  ■ 洛中  五条〜九条


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 五条から下の岸辺には、ビルのほか町屋も見え出す。
ずっと右岸河川敷を流れていたみそそぎ川は、五条大橋手前で鴨川に戻される。

団栗橋から下流望 松原橋

 団栗橋は木屋町と宮川町を結ぶ橋で、東山の方へ行くと建仁寺の前を過ぎ祇園甲部歌舞練場へ突き当たる。
花街・宮川町の名は、四条から団栗橋間の鴨川が、祇園さんの神輿洗い神事が行われる「宮川」であることによる。

 四条と五条の間は、ずいぶん距離がある。
元はいまの松原通が五条通で、秀吉が方広寺大仏殿を築く際に、旧六条坊門小路を五条通と改めた経緯がある。
仮に五条橋を鴨川の大橋とするならば、有名な弁慶と義経の橋上でのエピソードの場所はここ・松原橋ということになる。

五条河原
五条大橋 五条・ユリカモメの群れ

五条大橋モニュメント もと松原大橋の位置にあった「五条大橋」は、中島を中継点とする東西二本の橋だったという。中島には御堂があり、安部晴明のゆかりも伝えられる。御堂の実態はよく判らないが、ここが聖や芸人の集まる公界であったことは想像に難くない。
現在の五条大橋は国道一号線の通る交通量の多い幹線で、牛若丸伝説のモニュメント(左写真)が西詰の車道の分離帯に建てられている。

六条河原
正面橋から 左上流、右下流望

 正面橋は正面通に架かる橋、渡って東に行けば、豊国神社に突き当たる。
秀吉の作った大仏殿があったところで、隣接する方広寺に、冬の陣の因となった大鐘が残る。

右岸河川敷 マガモ コガモ

 五条−六条間では、右岸河川敷は狭くなり、歩道が無くなるところもある。
汀は草深く、時に歩道から水面が見えなくなるほど繁っている。
カモ等水鳥の姿が多いが、時に上空をトビの大群が舞うこともある。

七条大橋 右岸下流から 七条大橋 東詰から
七条付近の中州 七条河原のダイサギ

 七条大橋は、かつて市電が渡った橋である。欄干には「通し矢」がデザインされている。
この橋を東に行くとある、三十三間堂の正月行事に因んだものである。
大正期に架かった橋ゆえ、いまどきのものと異なり重厚な意匠となっている。
ここまで下ってくると、川相にワイルドさが戻ってくる。
川に立ち込む水鳥たちも、人に対する警戒心を取り戻している。

塩小路橋から上流望
塩小路付近の川面 左岸から屋形町公園を望む
新幹線と東海道本線 屋形町公園親水テラス

 七条から下では、東海道本線、新幹線、JR奈良線、東山橋などの重要なライフラインがひしめく。
この付近には、鴨川に架けられた最初の橋「韓橋」があったとされる。

疎水の橋上から鴨川とJR奈良線鉄橋を望む
屋形町 JR奈良線鉄橋下・右岸河川敷から 左上流、右下流望

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